MoriKen's Journal

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アラサー社会人博士による徒然日記。技術についてつらつら。だけだとコンテンツが貧弱なので、会社公認で大学院博士課程に進学した経緯や、独学でTOEICを475→910にしたノウハウを共有します。

MoriKen流英語道場 6. マインド編-英語学習で改革すべき5つの意識:後編-

はじめに

下記エントリの続きで、今回は意識改革の後編です。

前編では、

1.英語はスポーツだと捉えよう
2.小手先技術が欲しいという考えは捨てよう
3.継続の意志がないなら潔く降りよう

という三点について述べました。

後編では、

4.TOEIC神思考を捨てよう
5.何冊かの良質な教材を繰り返し使おう

という、前編で伝え損ねた追加の残りの二点について、議論をしていこうと思います ^^

具体的な改革内容(続き)

TOEIC神思考を捨てよう

これも悲しい話なのですが、とかく英語力といえばTOEICこそ神、という考えは捨てたほうが吉でしょう。そもそも、読と聴というインプットだけで実際に使える英語の力を測ることなど不可能なのです。(TOEIC S&Wという書力と話力の試験もあるので、こちらも一緒に受けていれば話は別ですが。)

TOEFL iBT を受けてみよう

そう言ってもという方、そんなときこそ習うより慣れろです。一度、TOEFL iBT を受けてみると良いかもしれません。聴読話書の四技能を測る試験なのですが、TOEICしかやったことがない人が受ければ間違いなくフルボッコのめった打ちに遭うでしょう笑。

TOEICで900取れちゃう人でも、時間足りねー!何言ってんのか分っかんねー!てか会話なげーしいつ終わんだよー!!!ってなります笑。これが今世界が求めている英語レベルかと、お手軽に体感できることでしょう。

TOEFLは米国留学希望者向けの試験なのでビジネス専門というわけではありませんが、TOEFLの方が世界的に見ても標準的に学習されている試験です。TOEFLができてTOEICだけができなかったなんて話、私は聞いたことがありません。

初めてTOEFLを受けた時にめちゃくちゃに心をくじかれるのは、実に爽快な気分です笑。もっと勉強して、TOEFLを目指すんだ!というモチベーションを持つきっかけにもなるでしょう。少々高いですが、長い人生のうちちょっとの勉強料だと思って一度受けてみることをオススメします。

TOEICはペースメーカとしては○

ただし、TOEICを全否定するつもりはありません。TOEICだってそれなりに英語力を測る役割は果たしますし、何より日本社会でアピールするなら圧倒的に認知度の高いTOEICを受けたほうが有利でしょう。それに、TOEFLに比べたら断然安価で、試験地も多く、試験頻度も高いので、定期的な実力確認とフィードバックにはもってこいです。TOEICも神格化せずにうまく付き合えば、ペースメーカとして有効に機能させることもできるでしょう。

何冊かの良質な教材を繰り返し使おう

何冊かで良いの?ということに疑問を持たれる方もいらっしゃると思います。逆に、何冊もやればいいという思考を捨てたほうが良いかもしれません。

※ただし、応用的な学習段階に入り、多様な問題を解くことに価値を見いだせるレベルに達すれば話は別です。

過大広告は無視しよう

ちまたの書店で英語学習コーナーを眺めていると、いつも似たようなキャッチフレーズばかりが並んでいると思いませんか?

「聞き流すだけで英語が飛び出る画期的な教材!」

「これだけやればあなたも簡単にTOEIC 800点!」

「ゼロからスタート!誰でも3ヶ月でネイティブレベルに!」


もしこのような教材に心惹かれることがあれば、私は待ったをかけたいと思います。

だって、もしそんな教材が存在したら、日本中、ひいては世界中の英語学習者が苦労することは未来永劫に渡ってないでしょう。そんなものがあれば今日明日にでもさっさと義務教育に導入しちゃえばいいのに、どこの国もそんなことはしません。

これは一つの真理を示唆していると言えるでしょう。銀の弾丸など存在しないのです。

かく言う私が、英語教材を買い漁っていた教材マニアになってしまっていたので偉そうなことは言いにくいのですが… ^^;

擦り切れるまで使おう

とにかくここで言いたいことは、

「その教材が文字通り擦り切れるくらいまで何度も何度も繰り返し学習するのが、基礎学習における正攻法。」


だということです。

他の教材に手を出したくなる気持ちをぐっとこらえて、愚直に一つの教材を極めるのです。

「この教材は2周勉強しました!」


と我が物顔で言う方がいらっしゃいますが、桁が足りないと思います。

野球の素振りを2回やっただけでドヤ顔する野球部員がどこにいるでしょう?

ここは少なくとも、20周、30週と繰り返すべきでしょう。学習内容によっては、100周、200週だって受け入れるぐらいの覚悟が必要です。

とにかく、その一つの教材だけについては、全問題を解答を見ることなく、しかも根拠を持って回答できるレベルに達して、初めて次のステップに進むべきでしょう。全部でないにしても、せめて90%以上は自信を持って正答できるようになるべきです。

教材選定の目も養なっちゃおう

もし次の教材を買いたいという欲に勝てなかったとしましょう。

仮に半分程度分かったから!と次の参考書に行ったところで、多分大部分は本質的には同じことばかり書かれている場合が多いので、また半分くらい分かったところで次に行き、の繰り返しとなるのです。出版社の思う壺と言っても過言ではありません。

他方、一つの教材を一度でも良いから100%マスターすることで、次に勉強する教材はかなり厳選されます。だって、殆どの教材を読めば、もはやほとんど内容はかぶりまくっているのですから、買う必要が無いと身をもって体感するのです。「買うんじゃねーよ、同じことしか書いてないよ」と、教材が語りかけてくるような感覚です。

おそらくこの段階で、99%の教材がフィルタされます。残りの1%の中から、自分が次に読むべき本が自然と浮かび上がってくるのです。

実シンプルな話なのです。

おわりに

こんなの本当なの?

ここまで、マインド面で改革する内容をお伝えしてきました。常識に反するようなこともあり、何だお前は!と思われた方もいらっしゃると思います。

しかし、これが私が実際に一年半の勉強でTOEICを475→850(TOEFLの当初のスコアはありませんが、最後は82です)まで向上させたあとに思ったことなのです。その後TOEICで910を取得したあとに、この価値観は確固たるものとなったのです。

英語を勉強する意義って?

そして最後にもう一言だけ。そもそも論です。意外とここも見失われているような気がするので、確認を込めて書いておきたいことがあります。

英語って、机上で勉強して試験スコアを自慢し合うための道具になってしまっていいのでしょうか?

本来は、多様な価値観を持つ外国人と会話を意見交換をするという有意義で楽しい体験を共有するための手段ではなかったでしょうか?それは、教育の場ではもちろんのこと、ビジネスやアカデミックの世界でも共通なことなのです。

その技量を客観的に評価するために試験があるはずなのに、試験で高得点を取ることで自分を認めてもらおうとする行為は、本末転倒なのです。試験で高得点をとってからが本番で、そこからいかに社会貢献に繋げられるかが本当の勝負なのではないでしょうか。

だから、TOEICの点数はそこそこでも、ちゃんと外国人とコミュニケーションが取れる(ワイワイやれるという意味ではなく正しく意思の疎通ができているという意味)なら、それはそれで良いと思うのです。

スコアは実力の結果でしかありません。そこに執着するは、そっと脇に置いたほうが吉と思います。

とは言え社会が求めている

とは言え、入試や就職活動で英語のスコアが必要だという事情はあるでしょう。痛いほど分かります。ある程度スコアを目的化する部分があるのは、社会構造的にも致し方ないことだと思います。

ただし、それにも限度があるということを認識した上で、踏み台にすることができれば健全だと思います。いいモチベーションになるでしょう。

たまにでいいから

「自分、なんかスコアに踊らされているな。一喜一憂しているかも。」


そんな感情に駆られたときこそ、自分の胸に手を当てて、英語を勉強する本来の目的や本質的な必要性について、今の社会情勢を踏まえて一度考えてみると良いかもしれません。たまにでいいのです。

個人のテストの点数がどうこうで悩み苦しむ問題なんて、この世界が平和な社会や豊かな自然を維持するために注いでいる途方もないエネルギーに比べれば、大した問題ではないのですから。

そんな些細な問題で悶絶していた当時22歳の私自身に、そう伝えたいものです。

次回

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MoriKen流英語道場 5. マインド編-英語学習で改革すべき5つの意識:前編-

はじめに

前回の記事で、どれだけ英語が苦手な人でも、継続した鍛錬によって英語力を一定のレベルまで向上させることができることを、私がこの身を持って証明したことを説明しました。

それと同じことを本道場で行おうというお話ですから、そのためにはどうしたってキツめの鍛錬が必要になると申し上げました。

具体的な練習の方法論に入る前に、マインド編で入門の心構えについて述べたいと思います。

マインド編の構成

マインド編は大きく二つのセクションから構成されます。

  1. 意識改革
  2. 明確な目標設定

は?何か当たり前なことばかり言っていない?と思うでしょう。でも、英語の勉強をしたい、英語を身に着けたいという人と会話していても、そのマインドに共感できる人があまりいないように感じるのです。

そこで!そんな当たり前なことについて、復習の意味も込めて、敢えて今一度確認しようではないか!ということなのです。

まずは、意識改革についてです。更に、前後編の二編から構成しており、今回は前編です。

おそらくこれから述べることは、常識的な概念に対するアンチテーゼを多分に含むため、受け入れられにくいかもしれません。

しかし、これは決して奇をてらって打ち出しているものではありません。私が実際に失敗しまくって得た教訓を抽象化して整理してみたら、それがたまたまアンチテーゼだらけだった、というだけのな話なのです。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」


とは、良く言ったものです。私がいかに愚者であることか… ^^;

良識ある皆さんは、ここに記した内容を、ご自身の考えと照らし合わせ下さいましたら幸いです ^^

具体的な改革内容

改革すべき意識は、全部で5つあります。

  1. 英語はスポーツだと捉えよう
  2. 小手先技術が欲しいという考えは捨てよう
  3. 継続の意志がないなら潔く降りよう
  4. TOEIC神思考を捨てよう
  5. 何冊かの良質な教材を繰り返し使おう

今回はこのうち3つについて述べていきます。

英語はスポーツだと捉えよう

藪から棒にスポーツと言われても抵抗があるかもしれません。いやいや、英語とか勉強だろって。

確かにその側面のほうが強いのですが、こと英語に関してはスポーツ的な要素がはらんでいることが、他の教科との最大の相違点だと思うのです。ここでは、その点について述べていきたいと思います。

詰め込み型受験英語を忘れよう

英語に限らず多国語の学習は、いわゆる国数社理と言った詰め込みが効く教科(これらの教科も本来詰め込むだけではダメなのですがここでは触れません)とは、本質的に異なる点があります。

それは、「聴力」や「話力」と言った現地実践能力を必要とすることです。この一点を持って、いわゆる五教科の中で英語だけは他の教科と一線を画すことになるのです。

とかく日本の大学試験で使う英語って、その多くは知識でカバーする部分が多いでしょう。

もちろん、文法力や単語力と言った知識をベースとしたスキルは、実際に英語を使う場面でも役立つでしょう。しかし、聴力、話力に関しては、知識でどうこうなる問題ではありません。

こういう実践を伴うスキルは、本を読んで理解していることと、実際にやってみることとの間には、天と地ほどの差があると言って間違いありません。何となく分かった気になって手を休めた瞬間、試合終了なのです。

基礎鍛錬をスポーツと比べてみよう

分かることとできることは違うということは、スポーツならすぐにピンと来るのではないでしょうか?

それに、これ本当にやる意味あるの?と思うような退屈な反復訓練を永遠とやらされることに、ストレスを感じたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

中には、

「オレはこんなことをやるために部活を始めたんじゃない!」


と捨て台詞を言って退部する人もいたことでしょう。

一方、そこで敢えてコーチを信じて基礎鍛錬を真面目に積んだ部員は、将来応用的な技を習得できた時、ようやく悟るのです。

「あぁ、こういうことだったのか。退屈だったけど基礎をやっておいて本当に良かった。」


そして、コーチに心から感謝をすることになるでしょう。

英語も一緒なんです。とにかく、基礎体力、足腰、フォームをみっちり訓練し続けることで、少しずつ少しずつツボのようなものが見えてくるのです。

ここを怠って、

大して勉強もせずいつも試験ばかり受けて、その時その時のスコアに一喜一憂する状況


に陥るとうことは、

部活の練習をサボって練習試合にだけ参加して、たまたま勝ったり負けたりすることに一喜一憂する状況


と本質的には等価なのです。

もう少し現実的な話をしてしまうと、例えばTOEICで、前回は勉強せずに10点上がったのに、今回は勉強したのに20点下がっちゃったといった類の状況、よくあるのではないでしょうか?実はこれ、統計的にはまぁ偶然でも起こりうるよね、と言う程度の誤差の範疇でしかありません。

つまり、コインを振って表や裏が半々の確率で出るというレベルの出来事に対して、いちいち一喜一憂してしまうことと本質的には変わらないという悲しい状況なのです。

実技演習をスポーツとくらべてみよう

スポーツの世界では、こうしてみっちり基礎鍛錬をしたら、徐々に試合で使う応用的な技術の習得に進展したり、練習試合を通じて自分の弱点を見つめ直したりしながら悪い部分を修正していった上で、また気の遠くなるような訓練を続けることになります。そして本番の試合に向けてコンディションを調整することになるでしょう。

英語でも同様に、基礎鍛錬あっての、長めの文章のリスニングや外国人との会話と言った応用的な技術の訓練に進むべきなのです。何も聞き取れないのにラジオをただ聞き流したり、語彙力も発音力も無いのにただ英会話教室に通う行為は、やっぱり基礎訓練をせずにいきなり試合をしていることと同じなのです。

もし英会話教室に通っているなら、その教室で教えてもらおうという受け身の意識を捨て、自宅で積んだ基礎訓練の成果を発揮するための試合の場だと思って臨むべきなのです。海外に語学留学したという人や、何年も英会話教室に通っていると豪語する人が、実は自己紹介に毛が生えたくらいの英語しか話せなかったりするのは、そこの感覚が欠落しているためなのではないでしょうか。

だからスポーツなのです

このように英語を学習する上で大事なことは、

  • まずは入念な基礎練習を積み、
  • その成果を試す実践的な演習として英会話を行う、

というフローなのです。

もちろん英会話については、時には習うより慣れろ、が大切な場面も多いでしょう。実践することは実際どれほど負担のかかることなのか、自分がどの程度のレベルに達したいのかをイメージする上でも、有効なマインドチェンジ法といえるでしょう。

しかし、それはあくまで基礎訓練をするための踏み台と捉えるべきなのです。慣れるだけ慣れて、あー楽しかった!で終わってしまったら、一体何のための慣れだというのでしょう?

このように、ここでさらっと述べたことだけを振り返っても、英語の学習とはスポーツのトレーニングに通じる部分が多いのです。

小手先技術が欲しいという考えは捨てよう

合わない人にはとことん合わない

何度も言うように、本道場はキツイです。したがって、

「もっとお手軽な裏技で、TOEICの得点を上げたいだけなんだけど。」


という方は、そっとブラウザをお閉じ下さい。

ここでは、

「小手先の技術でスコアを上げて人に自慢できるようになったらハイ終わり。」


という路線はとりません。むしろ、

「基礎となる英語力を鍛錬によってしっかり身につけた結果、英語試験のスコアが高くなった。」


という方針を取りたいのです。したがって、楽して点数を稼ぎたいという人では3日と持たないと思います。

合う人にはとことん合う

一方、

「努力する意志はある。本当に英語力を何とかしたい。苦労は惜しまない。」


という方には本当に向いていると思います。

色々な教材に踊らされて悩んでいた方にとって、ようやくまともな方法に出逢えた!と思える人もいるでしょう。私がそうだったように ^^

継続の意志がないなら潔く降りよう

継続できないなら「初心者+産毛」は超えられない

スポーツの節で話したように、長期間の地道な鍛錬が必要です。半年程度の期間で中途半端にやった所で、初心者に産毛が生えたくらいにしか上達しないのが、本当に英語の嫌なところです笑。

これがサッカー部とか、野球部とかの話なると、

「そら常識的に考えて当たり前だわ。一年生が、しかも半年でうまくなれるわけが無いだろう。もっと練習しなさいな。」


と誰でも思うのに、こと話が英語になった瞬間、

「半年も勉強したのにTOEICの点数が全然伸びないわー。まじしんどいー。」


という話になるのですから、中々難しいところなのです。

これは先に述べたように、「英語が受験型の勉強に含まれる」という誤った考え方が、多くの日本人の頭に刷り込まれているからなのでしょう。確かに、数学や世界史なら半年みっちり勉強すれば何とか受験に間に合えちゃったりする人もいますからね。もちろん、頭が良ければですが…。私には無理です、はい。

ですから、一年なんて当たり前、何なら二年でも三年でもちゃんとみっちりやる覚悟がある、くらいの心持ちがないと、やっぱり初心者レベルで落ち着いてしまうでしょう。

最初っから降りたほうがマシな場合も

極論、半年どころか三ヶ月すらも継続できずに降りてしまうと、そこそこ時間を使ったわりには結局無駄になったと言う思いをすることになるでしょう。

そんな中途半端な勉強で不快な思いをするくらいなら、最初から潔くベタ降りして、浮いた時間で思いっきり遊んで過ごしたほうが人によっては幸せだと思います。趣味で楽しんだり、家族と友人と交流することは、大切なことです。覚悟を持てないのであれば、それを失ってまでやる必要はないと思います。

もし成功の見込みが薄いなら、ロスカットは早いに越したことはありません。それどころか、覚悟がないなら潔く最初からスパッとロスなし方針を選択をするほうが、よっぽど最適なのです。

次回へ続く

まだもう少し改革内容があるのですが、本文が長くなってきたのでこの辺りで一旦区切ることとします。

前編では、

1.英語はスポーツだと捉えよう
2.小手先技術が欲しいという考えは捨てよう
3.継続の意志がないなら潔く降りよう

という三点について述べました。

後編では、

4.TOEIC神思考を捨てよう
5.何冊かの良質な教材を繰り返し使おう

というテーマについて議論していきます ^^

次回

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MoriKen流英語道場 4. 素人が勉強法を伝えるメリット:後編

はじめに

下記エントリの続き、後編です。

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生まれつき英語の才能がある人のアドバイスでは、英語が苦手な人は手も足も出ないんだということを、中編で述べました。

今回は、英語が超苦手だった私がTOEIC 850を取るに至った経緯に触れながら、このエントリの主題である

「プロではない、英語が本当に不得意だった自分だからこそ、英語学習法を共有する意味があるんだ。」


という主張に着地します ^^

英語は苦手だったけど、勉強は最後まで諦めなかった

留学するためにスコアが必要だった

このように、悲しいほど頭の良くない私。そして、本当に泣いてしまうほど英語が超々苦手だった私。

それでも諦めずに勉強を続けました。

忘れかけていましたが笑、そもそも私はアメリカに留学するために必要な英語スコアを提出する必要があり、こんだけ英語を勉強していたのです。

半年間の膨大な学習にも関わらず全然スコアが伸びない私をよそに、時間は過ぎていきます。もう留学認定締切直前の時期に差し掛かり、本当に後はないという所まで追い込まれて、それこそ目が真っ赤になるまで英語の勉強しました。

当時は、寝ても覚めても英語のことばっかり考えていました(工学部学生なのに笑)。

試験の感触は☓

そして、本当に最後の最後のチャンスの試験がやってきます。試験後の感触としては、正直ダメかもしれないと思っていました…。またいつもと一緒だろうと。やっぱり自分には才能がないんだと、しょんぼりしていました。

だから、もう英語のスコアには大した期待もせずに、本業の工学部の卒論の方にパワーをシフトさせていました。スコア基準のゆるい、アメリカ以外の国に留学になるのかな、アメリカ行きたかったなとか、本気で考え始めていたものです。

結果はなんと…!?

もはや英語なんていう苦い記憶は忘れてしまいたいとまだ思っていた頃、スコアシートを受け取ります。そして結果を見たあの瞬間。今でも忘れません。

何と、TOEICは850、TOEFL iBTは82 (留学認定ボーダーは80)だったのです!最初は本当に信じられず、開いた口がふさがりませんでした笑。少し時間が経って冷静になって、お、おぉ…?おおぉーー!!!!って感じになりました笑。

私の尊敬する天才達からしたら、取れて当たり前の点数かもしれません。

しかし、私のような英語が超苦手な凡人にとって、TOEIC 800超えとTOEFL 80超えを初めて同時に達成するということは、もはや夢のまた夢のような出来事だったのです。雲の上のような存在だった、かの天才たちに初めて近づけた瞬間だったのです。これは、もう本当に幸せの絶頂だったのです。

諦めなくて良かった

諦めないで続けてきて良かったと、本当に本当に心の底から思いました。とにかく感激しました。英語の才能が全然ない私でも、自分を信じて絶対に諦めること無く継続することで、結果を出すことができたんだ!

この事実を痛感し、全身が震えたのを覚えています。

そして今度は感極まって、声を出して涙を流してしまうという始末でした笑。泣き虫野郎です笑。

英語が苦手な私だからこそできる貢献の仕方がある

だから、英語が伸びない人の悩みが痛いほど分かる

そんな私だからこそ、英語ができなくて悩んでいる人目線で、私の実体験を人に伝えることに意味があるのではないかと思ったのです。

ただ、TOEICで満点を取ってしまうような本当に頭の良い人達と同じような結果を導くことはできないとは思います。

しかし、英語がクソ苦手だった凡人の私が一年半の勉強でTOEICスコアを470から850まで押し上げた方法をここで共有することは、実は多くの英語学習者にとって一定の価値を提供できるのではないかと感じるようになったのです。

英語を習得する本質的な目的

それに、英語を学習する目的はTOEICで満点を取ることでは無いはずです。

世界中のいろいろな人とコミュニケーションを取り、多様な価値観について理解し合うという素晴らしい体験を共有できるようになることこそが、英語を習得する本質的な価値なのではないでしょうか?

英語道場の名の由来

TOEICはその踏み台にすぎない。そういう意識のもとで、愚直に、職人的に英語を学習していこうじゃないか。それが、本カテゴリでご紹介する英語学習方法のミソなのです。

これは鍛錬を要します。

だから、英語「道場」などという大げさな名前を付けているのです笑。

次回以降

いよいよ道場の内容へ

さて、なぜわざわざド素人の私がでしゃばってこんな記事を書きたいと思ったのか、そしてそのことにどんな価値があるのかを述べてきました。

次回以降、いよいよ道場の内容に入ろうと思います。

ぶっちゃけ、楽じゃない

前もってお伝えしておくと、はっきり言って、苦痛を伴います笑。だって、英語が苦手な人が英語を使えるようになるための修行をするのですから、楽して習得できるはずがないでしょう?

天才には敵わないなどとこれまで述べてきましたが、本物のプロはいくら才能があろうとも、私達の想像を超える血の滲むような努力を積み重ねているものなのです。それなのに、素人たる私達が不断の努力なくして英語を習得できるようになることなど、絶対にありえないでしょう。

その苦労を耐え忍び、諦めずにじっくりと時間をかけて精進することで、誰でも一定のレベルまで英語力を向上させることができるはずです。だって、TOEIC 400点台という阿呆な私ですら、日本国内での独学だけで850にまで押し上げることができたのですから。

万人には勧めない

そんな鍛錬、皆が皆できるものではないと思います。やりたい人がやればいいと思います。

ここでは、才能がないのに継続した努力でカバーしちゃった方法を述べるのですが、それを万人に強制するようなことは避けたいのです。

何を隠そうこの私自身、

「結果が出ないのは努力が足りないんだ!もっと勉強しろ!」


という考え方を忌み嫌っているのですから笑。

この辺りの話は、下記エントリで述べました ^^

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職人気質の人向け

一方、努力でカバーできるなら自分にもできるかも…?と思う人も一定数はいるでしょう。

「苦手な英語を克服したくてこれまで色々なことをしてきたけど、どうしても伸びない。小手先の技術では頭打ちになっているのはとっくに気付いているけど、これ以上どうすればいいのか分からない。でも、努力する気質だけは負けないと思っていて、何とかしたい。」


この道場は、そんな人に最も向いているかもしれません。

「何度も何度も何度も繰り返す、単調反復訓練を耐え忍ぶことも厭わない。」


そんな精神力が、本道場入門の前提となるかもしれません。

本道場は二部構成

そんな本道場は、大きく分けて二部構成です。

  • マインド編
  • トレーニング編

それぞれどのような鍛錬となるのか?これから複数回の記事に渡って、じっくりとご紹介していきたいと思います ^^

次回

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MoriKen流英語道場 3. 素人が勉強法を伝えるメリット:中編

はじめに

下記エントリの続き、中編です。

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生まれ持った才能がある人・ある物事が得意な人が、それを人に教えるのが上手とは限らないんだよ、とうことを前編では述べてきました。

今回は、それを英語について展開していき、最終的には

「プロではない、英語が本当に不得意だった自分だからこそ、英語学習法を共有する意味があるんだ。」


ということを主張していきたいと思います ^^

そして、英語でも同じことが起こる

さて、前回の続きです。

言いたいことは、前編で話したことと同じようなことが英語についても起こるんだ!ということなのです。

これについて、私の実体験を交えて、もう少し掘り下げてみましょう。

センスがある人の場合

生まれ持った才能やセンスを持ち合わせた人が、

「初めてノー勉でTOEICを受けたのに700点が取れたわ。ははっ!」


などという話をするのを聞いたことはないでしょうか?私は何度も聞いたことがあります。

本当なのか謙遜しているのかまでは分かりませんが、事実として、一部の恵まれた才能を持った人が、しょっぱなからある程度高いスコアを叩き出すということ自体は、いつの時代にも一定の確率で起こりうることなのです。

そんなセンスがある人に質問してみても…

そして、そんな人に

「なぜTOEIC700点も取れたのですか?秘訣を教えてください。」


などと聞いてみたとしましょう。

「いや、何でと言われても、やってみたら取れてしまったので何とも…。」


とか、言われてしまってしょんぼりした経験をした方もいらっしゃるのではないでしょうか?

私はこう言われたことが本当にあり、しょんぼりしたことが何度もあります ^^;

こうなるともはや参考となる情報は皆無と言えるでしょう笑。

TOEIC900ホルダーにも質問してみたが…

あるいは、TOEIC900をとったことがある人に、リスニングの秘訣を教えてほしいと聞いたことがあったのですが、

「毎日英語のラジオを聞き流していたら、気付いたときにはもう聞き取れるようになってさ。」


とか、

「聞いたり読んだりした英文を、頭のなかで英語で要約する習慣を付けていたらリスニングもできるようになったよ。」


などと言う、回答を頂いたこともありました。

あー、えーと、あのー、何と言うのか…。うん、もやはぶっ飛んでいるんです笑。だって、そうでしょう?

「はい?いきなりソコからですか!?!?」


って印象を受けませんか???

信じがたいかもしれませんが、コレは事実なのです。私は本当にこうアドバイスされたことがあるのです。

こっちとしては、「聞き流して英語が分かる」とか、「脳内で英語で要約する」とか、もはやそういうところすらも全然できないから、本当に心から助けてほしいと思って質問しているんです。

それなのに、もうそういうところができるのは当たり前だよね?と言わんばかりにいきなり応用的な学習法から入って高いスコアが取れてしまった例を聞かされても、こっちは手も足も出ないわけです。

食い下がったのだか…

そこで、私は食い下がり、

「どうすれば聞き流して分かるようになったり、英語で要約できるようになるのですか?」


と聞いたのです。すると、

「いや、何でと言われても、やってみたらできてしまったので何とも…。」


という、またどこかで聞いたことのあるような答えしか返ってこないのです。飲み会等の少しくだけた場でも、是非参考にしたいから謙遜しないで教えて欲しいんです♪と聞いても、答えは全く同じなのです。

頭の構造が違う…

もはや、頭の構造が根本的に違うとしか思えませんでした…。

このことからも、生まれ持った才能やセンスを持ち合わせた人・頭のいい人・そういう才能を背景にプロになった人にその秘訣を聞いたとしても、素人のレベルとはあまりにも乖離しすぎていて結局参考にならない、ということが理解できるのではないかと思います。

もちろん、その頭のいい人にだって悪気はないのでしょう。ただ、本当にやってみたらできてしまうのだから、そのコツをと言われても、どう説明すれば良いのかがガチで分からないだけなのだと思います。

生まれながらの才能で英語が得意な彼らにとって、その秘訣を聞くということは、

「どうすれば呼吸できるの?」

「どうすれば歩けるの?」

「どうすればまばたきできるの?」

「ねぇその具体的な方法を説明して説明して?」


と聞かれた時に、

「まずは脳内の運動野にほにゃほにゃボルトの電気刺激を与えることで、どこそこの筋肉の繊維をこれこれニュートンの張力で引っ張り…」


などと言う説明をする人がどこにいるでしょう?私たちはそんなこと意識していませんよね?

むしろ、

「いや、何でと言われても、やってみたらできてしまうので何とも…。」


と、これまたどこかで聞いたことのあるようなセリフで答えるしかないようなほど、回答に困窮する質問なのではないでしょうか?

名スポーツ選手が名コーチになるとは限らないという話と、通じるところがあると思うのです、

天才との競争から降りる

こういう天才達と比較して自分の能力の低さを嘆くのは、精神的にかなりの苦痛を伴うはずです。多分、一生かかっても彼らには追いつけないのですから。そんな不毛な戦いからはさっさと降りてしまった方が、色んな意味で身のためというものです。

「そんな人もいるんだ!しゅげー!笑。」


くらいに捉え、できるだけ早く自分との戦いにシフトするのが健全でしょう。

センスが無い人(私を含む)の場合

さて一方、私を含めた大多数の英語が苦手としている日本人からすると、

「こんなに勉強している自分が、どうしていつまでたってもスコアを上げることができないのだろう…。」


といった具合に、頭を痛める経験をしてしまうこともあったのではないでしょうか?

私自身、毎日余暇と睡眠を削って膨大な時間を英語学習に費やしていたのに、半年近くスコアが全く伸びないという大スランプを経験したことがありました。 そして、目の前の天才たちが涼しい顔をして私の遥か上を行く点数を取っていくのです…。

もうあまりに悔しくて悔しくて悔しくて、自分の才能の無さを心から呪ったものです。本当に声を出し、涙を流して泣いたことが、何度あったことでしょう…。 当時はまだまだ未熟で多感な学生だったのです。他人の能力を羨む感情なんてさっさと捨てていればよかったと、今なら思うものです笑。

そんな私だからこそできることがある

そんなセンスのない私がTOEICスコアで850を取得した経緯、その経験があるからこそできる貢献の形は何なのか?

それは、次回の記事でご紹介しようと思います ^^

次回

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MoriKen流英語道場 2. 素人が勉強法を伝えるメリット:前編

はじめに

前回は、本カテゴリの「MoriKen流英語道場」を開設したきっかけについて書きました。

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素人の私だからこそ、分からない人目線で記事をかけるのではないかと思ったことがきっかけだということを述べました。

ここでは、なぜ英語が苦手だった素人の私が自分の勉強方法を伝えることに価値があると考えたのか?その理由について記述していこうと思います ^^

分かっている人、頭のいい人の説明は難しくて理解できない

結論から言うと、こうです。

「プロのように頭が良くて既に分かっている人の説明は、迷える子羊的な立場の多くの人にって難しくて理解できない場合がある」


から、

「よく分からずに苦しんだ私のような阿呆が、素人目線で説明した方がより多くの人にとって理解しやすい可能性がある」


と言うことです。もう少し具体的に考えてみましょう。

学校の勉強に当てはめたケーススタディ

こんな経験は無かったでしょうか?

例えば、こんな経験は無いでしょうか?

時は高校時代(中学でもいいです)。勉強が得意ではない自分。宿題の問題がどうしても分からなくて解けない。そんな状況だったとしましょう。

クラスで一番頭のいいAくんに聞いて教えてもらおう!と言うことで質問してみます。ごく日常の風景のように思います。 しかし、これが案外落とし穴だったりするのです。

そう、頭のいい人に聞いても、必ずしもその説明が分かりやすいとは限らないのです。頭の良い人は、自分が簡単に理解できてしまうことが、なぜ他人には理解できないのかが分からなかったり、分からなくて苦しんでいる人の気持ちが理解できなかったりするのです。

だから、説明もスマートに効率的に済まされてしまうのです。専門的な用語はバンバン使ってくるし、説明自体も速すぎたりして、分からないこちらとしてはもう理解が追いつかない。そうなると、

「もう何を言っているのかさっぱり分からない!ウキー!!!」


と、なってしまいます。そんな類のこと、誰しも人生で経験したことはあるのではないでしょうか?(ただし、頭のいい人は除く笑。)

良いとか悪いとかではない

これが良いとか悪いとか言っているのではありません。

物事を理解するのに時間がかかる人が、要領がよくて何でも短時間に理解できてしまう頭のいい人の気持ちが分からない


のと同様に、

頭のいい人が、理解に時間のかかる人の気持ちが分からない


ということも起きてしまうのです。

頭のいい人も、決して悪気があるわけではないのでしょう。

不公平に感じることもあるとは思いますが、本質的にはお互い様なところがあるのです。

分からない気持ちが痛いほど分かる

そんな私ですから、

「もう意味わかんないーーー!ウキーーー!!!」


ということを、もううんざりするほど経験をしてきたのです。

学校で授業とか聞いていると、いっつもこう思っていました。

「何でこんなに難しい話を聞かされているのに誰も疑問に思わないんだ!?もはや自分だけが究極的に頭がおかしいじゃないだろうか!?!?」


こんな勢いで、頭を抱え続けてきた人間なのです。

だから、説明が難しくてついていけなくなったり、質問することすら恥ずかしくなったりするのです。そんな感情から、どんどん引っ込み思案になってしまう人の気持ちが、本当に痛いほど分かるのです。

勉強でイメージできないなら他の事例に置き換えればいい

スポーツに置き換える

勉強でイメージできない人は、スポーツで置き換えてみたらどうでしょう?

体育の時間にどんなスポーツでもそつなくこなせてしまう人って、クラスに一人や二人いたと思います。運動神経の悪い私がその人に、どうやったらそんなに色々なスポーツができるようになるの?と聞いたことがあります。

「いや、何でと言われても、やってみたらできちゃうんだよなー…。」


う、羨ましい…。こうして私は運動神経の悪いモテナイ男子を貫くこととなったのです…。

テレビゲームに置き換える

テレビゲームでもそうです。私は小さい頃から、格闘、アクション、レーシングなど、色々なゲームを友達とやってきたのですが、全くもってセンスがなく、ほとんど勝ったことがありません。

一方、どんなゲームをやらせて、どのキャラクターを使っても、無敵の強さを誇るような人にその秘訣を聞いても、

「いや、ちょっと練習したらできただけで。何でと言われても、困るわー。」


と、悲しい回答を頂くことしかできないのです。私だって毎日練習しているのに…。

結局私は万年ぶっちぎりの敗者を貫くことになりました…。

そして、英語でも同じことが起こる→次回へ続く

前置きが長くなりました。今回は一旦ここで区切ります。

言いたいことは、これまで話したことと同じようなことが英語についても起こるんだ!ということなのです。

次回は、私の実体験を交えて、英語についての事例を紹介しながら、素人が英語学習法を紹介する価値について述べていこう思います ^^

次回 ↓ www.moriken254.com

MoriKen流英語道場 1. 本道場を開場するきっかけ

はじめに

昨今のグローバル化により英語の必要性が叫ばれてから久しく、かなり多くの方が英語の勉強に関心を抱いていることは、今更私が申し上げるようなことでは無いと思います (政治的にはややナショナリズム化の気配はありますが、グローバルビジネス自体は今後も無視できないでしょう)。

ビジネスに限らず、プライベートで純粋に国際交流を楽しみたいと思っている方や、海外の大学で留学したいと思っている人もいるでしょう。

更に、必ずしも仕事や生活では必要ではないけど何か勉強したいというモチベーションを満たすために英語の勉強をされる方も多くいらっしゃると思いますので、それら全部をひっくるめて考えると、かなりの割合の日本人が何らかの形で英語に関わっていると言えるのではないでしょうか?

そのように英語の学習について興味を持っている皆様に、少しでもご参考になる情報をご提供できればと思い、「MoriKen流英語道場」という形で記事を書こうと思います。

偉そうに言うけど、おまえどうなの?

私はプロではない

初めに断っておきますが、私は英語教育のプロでも、ビジネスでも英語を使ったタイプの人間でもありません。本当に、どこにでもいるような凡人です。

大体にして、もともと私のTOEICのスコアは400点台だったのです。お世辞にも英語が得意などとは言えないような点数です。

「あぁ、英語勉強してこなかったんだろーな-この人。」


と思ったそこのあなた!正解!!!笑 サボり魔でしたよ♪

プロではない私の英語力

そんなクソみたいな英語力しかなかった私が、学生の頃にふと

「アメリカに留学して-!!!」


と言う阿呆で無謀なことを思い立ち笑、一念発起で英語の勉強を始めたわけです。

スコア

結論としては、一年半ほどの独学の末、TOEICの点数を470から850まで向上させました。同時点で、TOEFL iBTは82でした。

その後一年間の交換留学の末、TOEIC910を取得しました。同時点で、TOEFL iBTは93でした。

英語が苦手なクソ学生でも、このくらいのスコアを獲得することは可能なのです。

会話とライテイング

英会話については、日常会話、専門分野の議論、研究のプレゼンテーション程度であれば、そんなにストレスは感じないレベルです。ライティングについては、考える時間がある分文法の正確性は上がりますが、フォーマルな文書を書く際の語彙力に欠く場面があります。

会話中に単語が出てこないことはありますが、そういうときは簡単な表現を組み合わせることで、多少回りくどくなってでも伝えたいことは伝えることができます。少なくとも、自分の言いたいことが伝えられないことによるストレスは感じません。相手の言っていることが理解できなくてストレスを感じることはあります。

研究については、英語で論文を執筆しています。そこまで抵抗はありません。日本語で書いていいなら楽で嬉しいだけど、英語で書いたほうが良いならまぁ書きますよ、と言った感覚です。ネイティブチェックは必須ですが…笑。

なお、仕事で英語を活用したことはありませんので、ビジネス英語については分かりません。

念のため証拠を

「へー、言うだけなら誰でもできるよね?ウソなんじゃないの?証拠出せよ。」


というお叱りを受けると思い、当時勉強したときのスコアシートを証拠として掲載します(少し古くて申し訳ございません)。

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ここでスコアを公表しているのは、証拠を挙げることで記事の信頼性を上げることを目的としています。自慢とかする気はないんです。TOEICのスコアなんかで本当に使える英語力が分かるわけではありませんし、人間力が決まるわけでも、そもそもそれが社会貢献につながるか確約できるものでもないのは百も承知です。点数なんてただの飾りだと思っているくらいです。

とは言え、

「これ見よがしにスコア出すなよ!自慢か!うぜー!」


と思われた方もいらっしゃると思います。その場合は、大変申し訳ございません。そっとブラウザをお閉じ下さい。もっとすごい人は世の中にいっぱいいるので、その方の勉強方法を参考にされて下さい ^^

プロでもないおまえがどんな記事を書くの?

素人にとって有効だった勉強方法

さて、英語の勉強をした当時も、英語を専門にしていたわけではありませんでした。授業がダルくて自主休講して友達に代筆を頼んでしまような、平均以下の意識しかない工学部のクソ学生だった私。

そんなどうしようもない私でも、一年半の勉強でTOEICのスコアを380点向上させるうえで、特に有効だったと思う英語勉強法を記していこうと言うコーナー。それが、「MoriKen流英語道場」です。

「は?普通の学生の勉強?そんなの当てにならねーし。なにこんな偉そうなテーマで書いているんだよ!引っ込んでろ!」


と、お叱りを受けるかもしれません。そう思われた方、正しい感想です笑。どうぞ、そっとブラウザを閉じて下さい。

素人ならではのコンセプト

さて、ここでのコンセプトは、

「プロでも専門でもないし、むしろ泣きそうなくらい英語が苦手だった普通の学生でも英語力が身につく勉強法。」


と言うものです。つまり、私がそうだったように英語が苦手でどうすればいいか分からないと悩んでいる人に寄り添った記事を書きたいと思っているのです。

こういうコンセプトで記事を書こうと思ったら、プロじゃない人が書いたほうがいい場合もあると思うのです。

素人だからこそ、英語学習で悩んでいる人目線の情報を提供できるのではないかと思うのです。だから、英語学習法に関する記事を書きたいと思うようになったのです。

そして会場したのが、この「MoriKen流英語道場」なのです。

次回

今回は、本道場を開場するに思い至ったきっかけを述べました。

次回は、プロではない私が英語学習法を紹介するメリット、つまり「そんなことに一体どんな価値があるのか?」について書いていこうと思います ^^

次回 ↓ www.moriken254.com