はじめに
下記エントリの続きです。
引き続きマインド編。今度は目標設定について述べていきます ^^
みなさんが英語を勉強する目的は何ですか?
ぶっちゃけて考えてみよう!
この問いに対して、偽り無く答えてみると、次のような理由が挙がらないでしょうか?
- TOEICで高得点を取る!
- 入試、就活を有利にすすめる!
- 会社や学校が強制するから、とりあえず!
理由は色々あるでしょうが、こういった理由で英語の勉強をする必要に迫られる方は、決して少なくはないと思います。
これが良いとか悪いとか言っているのではありません。むしろ、きっかけとしては十分機能すると思います ^^
その後どうなる?
では、前述した目的の下で英語の勉強を進めた場合、その目的が達成されたらどんな心理に至るでしょう?
- やった!周りの人と比べた中ではTOEICで一番高い点数を取った!勉強終わり!
- え、○○先輩、オレよりTOEICの点数が低いのに、オレの第一志望の会社の内定取れたの?なーんだ、じゃあ勉強しなくていいじゃん!
- 会社で強制されたTOEIC、とりあえず勉強したけど、点数が低くても別にペナルティないから、流して受けよう。仕事のほうが忙しいし!
さぁ、いかがでしょう?すべての人がこのような心理を抱くとまでは言いませんが、全く心当たりがないと言える人がどれほどいるでしょう?かくいう私も、かつては同じような心理で、英語がダルくてダルくて仕方ありませんでした笑。
だって、人間ってそんなもんですもの ^^
では、こういう環境に身をおいたらいかがでしょう?
自分をもう逃げ場のない環境に放り込まれたら?
一方、以下のように、英語を使えないともうどうしようもない環境に身を置くことになったら、どうでしょう?
- 海外の空港でパスポート落としちゃった。
- 君、アメリカに1年出向が決まったから。これ変更なしね。
- パツ金のねーちゃんだ!話したいのに英語力が足りん!
今度はどうなる?
これは何とかしなければと、次のように行動するのではないでしょうか?
- うわ、パスポート無いとか、このままじゃやばい。受付に英語で問合せしないと!
- え、出向先で路頭に迷いたくないし、何とかして英語勉強しないと!
- 目指せパツ金!!!!!
やらなければならない状況になると、人は強くなります。背水の陣、火事場の馬鹿力、とはよく言ったものです。
今の日本の環境は?
なぜ憧れで終わる?
では、今の日本はどうでしょう?英語を勉強したほうがいいとは分かっているのに、一応社会的にも求められている風潮があるのに、なぜ英語の勉強が続かない場合が多いのでしょう?
話せるように成りたいと憧れで語る人がかなり多い中、どうしてそのほとんどは憧れで終わってしまうのでしょう?
次のような理由が考えられるのではないでしょうか?
- 英語ができたら確かに多少仕事も有利だけど。別にできなくても十分幸せな人生が送れる。
- そもそも仕事で英語を使う場面が無いし、先輩や上司も英語ができていなくても出世できているので、必要性を感じない。
- 何でもかんでも日本語訳されているので、日常生活で英語を使う必要性を感じない。
つまり、英語ができるようになったとしても、仕事でも日常生活でも別に使う場面がないのです。もちろん、職種によっては大いに活用する場合も多々あるでしょうが、おそらく国内の仕事の99.9%くらいは英語を使わなくても普通にこなすことができます。
したがって、めちゃくちゃ辛い思いをして勉強したところで大したメリットもないので、それなら遊んだほうがいいや!というお話なのです。だって、勉強って苦痛で面倒くさいじゃないですか。
つまり、高い英語のスコアを取った所で、ほとんどの場合は自己満足と自慢の道具くらいにしか使えないわけです。そんなもののために、誰が身を削ってまで英語の勉強を本気でやりたいと思うでしょう?
英語は嫌い!でも憧れ!
結局、多くの日本人の中に、
という精神構造が構築されているのです。
これは本当に不思議な話です。一体いつからこんなことになったのでしょう?明らかに矛盾した精神構造です。戦後、色々合ったのでしょうね…。
それはさておき、一般に人間というのは、楽をしたいものです。嫌いなものには手を付けない。これは、生物としての本能に従った健全な行動です。リスク回避は生存戦略の要ですからね。
一方、憧れはどうでしょう?憧れを抱くのは勝手ですが、別にそこに向けて努力しなくても生存は可能です。憧れという感情は、生きる上で最低限必要な欲求がある程度満たされて初めて発生するものなので、憧れを満たす行動は生存戦略的には優先度が低いのです。
このあたりの話は、マズローの欲求階層説から導き出せます。前者が安全の欲求、後者が自己実現の欲求に通ずる感情でしょう。
そうすると、普通に考えて大多数の人間にとって、嫌いと憧れの優先度下記の通りとなります。
これは、人間ならばごく自然な感情なのです。単なる憧れは、嫌いに勝ることなど、99.9%の人にとってはありえない話なのです。
アジアの環境は?
では、日本よりも英語のスコアが高いアジア諸国の場合はどうでしょう?彼らだって、母国語ではない言語をわざわざ勉強するのは面倒くさいはずなのです。それなのに、なぜ彼らはそんなにも必死になって勉強できるのでしょう?
- 国内の受験競争が激しすぎる。海外も検討しないと。
- 母国語に翻訳された教科書がないから、英語の教科書を使わないと。
- 会社の選考応募の前提条件が留学経験まてゃTOEIC750だから勉強しないと。
もしこのような環境なら、どう行動するでしょう?
- 国内ではとても受からなそう、英語を勉強しないと!むしろ海外に行った方がよりよい教育を受けられ、将来的に良い職につける可能性がある。
- そもそも英語の教科書を使うしかないのだから、嫌でも英語を使うことになる。
- そもそもTOEIC750がないとエントリーすらできない。英語を勉強しないと職の選択肢が狭まる。
こんな感情を抱くことになるのは、想像に難くないでしょう。
英語は嫌い!でもやらないと職が危うい!
つまり、アジア諸国では、英語を使えないと勉強ができなかったり、職が得にくくなったりするといった、生存に関わる感情を刺激する事情があるのです。英語ができることが、明らかに社会的ステータスに影響を及ぼす社会構造になっているのです。
つまり、嫌いなんて言っていたら路頭に迷ってしまうリスクがあるのです。否が応でも英語勉強することになるのです。
そもそも日本とは根本的に社会構造が違うのですから、モチベーションに大きな差が出ることは当然でしょう。
では、どうすればいいのか?
では具体的にどのように目標を設定すればよいのか?
それは、次回ご紹介することと致します ^^
次回
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