<!--
はじめに
私が社会人博士を志し、下記エントリの通りに分析をしていた時に、気付いたことがあります。
「幸福な人生を送るためには、リスクヘッジをすべし。」
と言うことです。それはどういうことなのか?簡単ですが綴ってみることにします。
ポシャったら逃げちゃえばいい
社会人博士は最強鉄壁のリスクヘッジを担保できるという話を、上記エントリでご説明しました。具体的には、いつ逃げてもへっちゃら♪ということです。
この点についてもう少し考察を加えてきます。
経済的基盤は揺るがない
そう!これ!これはメッチャ重要なんです!
ざっくり言ってしまうと、研究でポシャったところで死にやしないし、最悪退学して逃げてしまっても、普通のサラリーマンに戻るだけなので経済的基盤までは崩壊しないよね、というお話です。
お叱りを受けるかもしれないが
こんなことを言うと、
「は?そんな意識で社会人博士なんてやっていいのか?」
「これだから最近の若いもんは。」
「この卑怯者め!」
と言った具合に、人生の諸先輩に怒られてしまいかねない主張かもしれません。
もちろん礼儀をわきまえることは必要
もちろん、大して努力もせずさっさと諦めたり、「逃げる」時に後を濁すようなやり方をしてしまうことは無しね、という前提です。そんなのはただ有害なだけです。(ここでは、きちんと後片付けすることも「逃げる」という行為に含んでいます。)
しかし、一定の努力をしたにも関わらず成果が出る見込みがなく、その後の冷静な分析により「いやマジで無理っす」ということを悟った時に「逃げる」という行動を取ること自体は、卑怯な手段とは思わないのです。むしろ、幸福な人生を送るための健全なリスクヘッジであると考えてもよいと思います。
いざというときのために安全な逃げ場を用意しておくことは、決して弱腰なことではないのです。
なぜ逃げ道を用意することが健全なのか?
世間では、目標を途中で諦めることを過度に蔑む傾向があったりしますし、学生自身も博士まで来たのだから諦めてなるものかとやっきなってしまうことで、何かこうアカデミックの世界(むしろ日本社会全体…?)ってピリピリしたムードが漂う場合も少なくないように思います。
どうして逃げ場を作ることが、そんなに後ろめたいことのように認識される必要があるのでしょう?
忍耐にも限度がある
もちろん、簡単に目標を諦めてしまう姿勢では何も事をなすことはできませんし、背水の陣によってパフォーマンスが向上する場合もあること自体を否定はしませんが、物事には限度というものがあるでしょう。こりゃ明らかに無理ゲーだ!と察した瞬間、下手に続けるほうが全体の幸福度が下がることなんて、世の中ごまんとあるわけです。
特に、背水の陣によるパフォーマンス向上は短期的には効果を発揮しますが、長期的にはストレス要因の方が強くなる傾向があり、それに耐えられるほど人間の精神は強くできてはいないと思います。
ロスカットは早めにした方が良いが
「これはマジでヤバイ…」と本気で感じた時はできるだけ早くロスカットするほうが良い場合もあるのですが、
「カットした後の見通しが立たないことが怖い。」
「カットすること自体に相当なコストと労力がかかるから現状維持の方が楽だ。」
などといった理由で、もはやハイリスク・ローリターンに成り下がった案件を惰性で続けた結果、被害が大きくなってしまった!なんて話、しょっちゅう耳にすると思いませんか?
さっさと降りた方が後片付けも楽ですし、被害が小さいうちに次のステップに進むほうが長期的には事態が改善するケースというのは、決して少なくはないのです。
逃げ道が強気の姿勢を支える
そこで大事なのが、いつ降りても逃げ込める安全地帯を用意しておくことなのです。
つまり、非常事態に備えて逃げ道を用意しておくという行動は、むしろ幸福な人生を送るために必要不可欠となる、健全な人生設計戦略の一環であり、極めて適切なリスクヘッジであると考えるべきでしょう。安全地帯というヘッジがあるからこそ、安心感を持ってリスクを取ることができるのです。
逆説的ではありますが、強気の姿勢を支えるのが、実は逃げ場の確保なのです。
だから、周りの目なんて気にすること無く、堂々と安全地帯を作っておいて、あとはドーンと構えておけばよいのです。
リスクヘッジは不測のアクシデントでも有効
リスクヘッジを担保しておくことは、自分の努力ではコントロールできないような不測のアクシデントの際にも、効果を発揮するのです。
実際に私は救われた
実際に、私の息子が10万人に1人の難病にかかり、入院生活のため研究が困難となった時期においても、社会人博士の鉄壁のリスクヘッジが功を奏し、経済的安定性を担保したまま修学期間を延長することができました。
こればかりは確率の問題です。私がどう足掻いたところで、息子が病気になったという事実を変えることはできないのです。
もし「退職+博士」を選択していたら…
これがもし退職をして就学するという選択していたらどうなっていたでしょう?家族のサポートを断念して研究を継続するか、研究を停止して経済的基盤もぐらつかせることになりながら介護に従事するかを選択する事態も避けられなかったかもしれないのです。
学振・授業料免除・RAは研究の業績とも連動しますから、これは死活問題です。
研究も満足にできない、家族が難病なのに、お金もない、もう目も当てられない状況だったかもしれないのです。
社会人博士だったからこそ
一方、私は社会人博士を選択していましたので、研究を停止して就学年数を延長し、年休もガンガン消費して、育児休暇まで取得しましたが、サラリーマンとしての安定した経済基盤を担保したまま家族のサポートに力を注ぐことができたのです。詳細は別エントリでご紹介したいと思います。
「退職+博士」の場合では、この状況でこれほどの経済的安定性を確保するのは、現実的に難しいでしょう。
二足草鞋という大きな負担を受容したからこそ得られるメリットが、ここで発動されたのです。
このように、一見弱腰な「逃げ道」という安全地帯が、立派に保険としての役割を果たしてくれたのです。
おわりに
ここでは、社会人博士課程を例に、「逃げ道」というリスクヘッジの大切さについて述べました。これは、不測の事態でも保険としての役割も果たしてくれる、頼もしい仲間だということを、奇しくも私自身が証明することになりました。
一般的に成り立つ
このリスクヘッジの考え方は、何も社会人博士に限定した話ではなく、社会の至る所に張り巡らされているのです。
一心発起で何かリスクを伴う挑戦をしようと思ったら、まずどのようにヘッジをかけられるかも、同時に考えるべきかもしれません。
日常生活から始める
そこまで大きな挑戦を伴わないにしても、日常生活のちょっとしたリスクに対して「この場合のヘッジってなんだろうな?」と考えることを習慣づけてみようと、私自身を戒めてみた次第です。
例えば、部屋の掃除なんかをしているときに、棚から物が落ちるリスクがあるからヘッジとしてバンドで固定してみようかな、とかそんな小さなことでも立派なリスクヘッジの思考術なんじゃないかと思います。