はじめに
私は現在、メーカー勤務の会社員です。
と同時に、大学院博士課程の学生を兼務しております。
入社4年目で博士課程に進学しており、現在進行系です(業務と兼務かつ、業務と異分野での研究のため、5年での卒業を計画しています)。
本カテゴリ(社会人博士)では。私がこの立場になったきっかけや、行動に至るまでの経緯、入学後の生活について述べたいと思います。
博士なにそれ美味しいの?
え?なんで学生に?
と思われる方も多いと思います。こんな立場、実際あまり理解されるものではありませんし、やってる自分でも意味が分からなくなることがあるくらいです笑。
結論を言ってしまえば「ただやりたったから」です。大学院に行って脳が刺激されることが、なんか楽しいのです。一種の中毒かもしれません笑。
喜び
- 役に立つのか分からないけど純粋にただ知りたいことを知ることができる喜び。
- 自分が心からやりたいと思っていることができる喜び。
- なんのしがらみもなく全力で先生と議論ができる喜び。
こういう類の喜びは、単に会社で与えられたことをこなしていくだけの生活の中からは、得難いものなんじゃいかなと思う今日このごろです。
仕事じゃだめだったの?
仕事=喜びの人もいるが
もちろん、自分のやりたいことを仕事に選ぶことができ、毎日がやりがいに満ちた仕事生活を送っている方もいらっしゃると思いますし、それは素晴らしいことです。皆がそういう人生を送れる社会にならないものかと、切に願うものです。
しかし現実問題として、そのような充実した生活を送っている人は、かなり少数の人に限られると思われます。
日本の就活事情
いわゆる新卒一括採用のフローで就活をして、ある程度の規模の企業に就職した方なら分かると思いますが、自分のやりたいことを仕事にできる確率は極めて低いと思います。
当然、希望が通っている人も中にはいますが、それは少数派です。必ずしもそんなにうまく話は運ばないし、むしろ多くの人の希望は却下され、苦虫を潰す思いを抱いている人も非常に多いのではないかと思います。
私も、運良く(?)その一人となることができました笑。
なんでこういうことが起こるのかをここで述べるのは話の趣旨から逸脱しますし、今更私如きの人間が述べずとも自明の理なので割愛しますが、そういう現実があるという前提で話を進めます。
色々と記事を読んだ中でも、下記のサイトに記載された泥臭い事情があるのが有力ではないかと勝手に思っています。説明を受けていない限り、真実は闇の中なのですが…。
b-zone-salariedman.hatenablog.com
夢はあるが
私には夢がある。
ロボットで社会を豊かにすること。これもあまりごちゃごちゃ書くと脱線するので、こちらも割愛します。
要は、私には夢があり、ある企業がその夢を実現するためのフィールドとしてふさわしい場所と考え、そこに入社しました。
ところが、少なくとも入社時点において、私はロボットとは全く無関係の職場に配属されることになりました。
お子ちゃまな私はハンマーで頭をブチ抜かれたんじゃないかと思うほどの大きなショックを受けたなぁと覚えています。配属通達からしばらくは、私の頭はもはや真っ白で、すっかり放心状態になっていました。
幼い頃、「夢を持て」という類の話を当時の大人たちから聞いて、うげ!そんなの幻想じゃん!とか思っていたかもしれません。そんなことなら、夢なんて抱かなければ良かったなどと、甘ちょろいことを考えていたなぁと、懐かしく思います笑。
石の上にも三年
よく聞く言葉です。
これは今日でも意見の分かれるテーマですが、私はどちらかというと肯定派です。
確かに初見が好みでないと強い嫌悪感を抱く感情は分からないでもないですが、だからと言って簡単にコロコロと職場を変えてしまうようでは、多分いつまでたっても腰を据えて働けるようにはならないように思います。
最初からやりたいことだけをやっていたら身につかなかったような知見も得られるでしょうし、その経験が将来的に他者との差別化に繋がる可能性だってあるわけです。何より、忍耐力が身につくでしょう。その組織のことを大して分かりもしないのに即辞職というのは、私としてはやっぱり抵抗があります。何か行動を起こすのはその後でも遅くないと思います。
(強烈なブラック企業等で人間としての自由を脅かされるレベルの処遇を受けており、一刻も早く逃げ出さないと命が危うい、といった類の然るべき理由があるなら話は別ですが…。)
さて、そんなこんなで私は硬い石に三年乗っかりました。与えられた仕事はもちろん、与えられていなくともやるべきだと思った仕事は自分から積極的に行うようにしました。
様々な観点で成長できたと思いますし、社会貢献ができている実感もありました。生活に困窮することもなく、もし夢なんてもっていなければ、特に問題のない生活を送っていたと思います。
三年が経ち
そうして三年過ごして導かれた結論は、こうです。
三年経っても私の意志にブレはありませんでした。これが確認できたこと自体が、希望外の部署で働いたことによる大きな収穫と言えるでしょう。
人生をかけて、それこそこの身を削って学んできたロボット工学を、全く活かすことなく生きていくのが、どうしても辛かったのです。
もちろん、世界中にいる名だたる天才研究者や開発者に比べたら、私の能力なんて取るに足らないのは重々承知です。
しかし、それにしたって、今まで習得した知識や技術が殆ど全く活かされることがないのです。しかも、自分の意志とは全く無関係に、キャリアパスの全てが会社の都合だけで決まってしまっているというのは、精神的には如何ともし難い状況なのです。
それでも、ただ僅か程でもいいから、ロボット分野の発展に貢献したいと、心から強く思う気持ちは変わらなかったと思います。
そこからなんで博士課程?
ここまでくれば、どんな行動を起こすべきかを考えるステップです。
やりたいことをやるだけなら、異動希望を出すなり、転職するなり、趣味でやるなり、他に手段はいくらでもあるのに、何でわざわざ博士課程なの?その辺りは考察を加えてから行動するべきだと思いまして。
長くなってまいりましたので、その辺りの話は、次回にしようと思います ^^
↓続き