MoriKen's Journal

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アラサー社会人博士による徒然日記。技術についてつらつら。だけだとコンテンツが貧弱なので、会社公認で大学院博士課程に進学した経緯や、独学でTOEICを475→910にしたノウハウを共有します。

幸福な人生を送るためのリスクヘッジ

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はじめに

私が社会人博士を志し、下記エントリの通りに分析をしていた時に、気付いたことがあります。

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「幸福な人生を送るためには、リスクヘッジをすべし。」

と言うことです。それはどういうことなのか?簡単ですが綴ってみることにします。

ポシャったら逃げちゃえばいい

社会人博士は最強鉄壁のリスクヘッジを担保できるという話を、上記エントリでご説明しました。具体的には、いつ逃げてもへっちゃら♪ということです。

この点についてもう少し考察を加えてきます。

経済的基盤は揺るがない

そう!これ!これはメッチャ重要なんです!

ざっくり言ってしまうと、研究でポシャったところで死にやしないし、最悪退学して逃げてしまっても、普通のサラリーマンに戻るだけなので経済的基盤までは崩壊しないよね、というお話です。

お叱りを受けるかもしれないが

こんなことを言うと、

「は?そんな意識で社会人博士なんてやっていいのか?」

「これだから最近の若いもんは。」

「この卑怯者め!」

と言った具合に、人生の諸先輩に怒られてしまいかねない主張かもしれません。

もちろん礼儀をわきまえることは必要

もちろん、大して努力もせずさっさと諦めたり、「逃げる」時に後を濁すようなやり方をしてしまうことは無しね、という前提です。そんなのはただ有害なだけです。(ここでは、きちんと後片付けすることも「逃げる」という行為に含んでいます。)

しかし、一定の努力をしたにも関わらず成果が出る見込みがなく、その後の冷静な分析により「いやマジで無理っす」ということを悟った時に「逃げる」という行動を取ること自体は、卑怯な手段とは思わないのです。むしろ、幸福な人生を送るための健全なリスクヘッジであると考えてもよいと思います。

いざというときのために安全な逃げ場を用意しておくことは、決して弱腰なことではないのです。

なぜ逃げ道を用意することが健全なのか?

世間では、目標を途中で諦めることを過度に蔑む傾向があったりしますし、学生自身も博士まで来たのだから諦めてなるものかとやっきなってしまうことで、何かこうアカデミックの世界(むしろ日本社会全体…?)ってピリピリしたムードが漂う場合も少なくないように思います。

どうして逃げ場を作ることが、そんなに後ろめたいことのように認識される必要があるのでしょう?

忍耐にも限度がある

もちろん、簡単に目標を諦めてしまう姿勢では何も事をなすことはできませんし、背水の陣によってパフォーマンスが向上する場合もあること自体を否定はしませんが、物事には限度というものがあるでしょう。こりゃ明らかに無理ゲーだ!と察した瞬間、下手に続けるほうが全体の幸福度が下がることなんて、世の中ごまんとあるわけです。

特に、背水の陣によるパフォーマンス向上は短期的には効果を発揮しますが、長期的にはストレス要因の方が強くなる傾向があり、それに耐えられるほど人間の精神は強くできてはいないと思います。

ロスカットは早めにした方が良いが

「これはマジでヤバイ…」と本気で感じた時はできるだけ早くロスカットするほうが良い場合もあるのですが、

「カットした後の見通しが立たないことが怖い。」

「カットすること自体に相当なコストと労力がかかるから現状維持の方が楽だ。」

などといった理由で、もはやハイリスク・ローリターンに成り下がった案件を惰性で続けた結果、被害が大きくなってしまった!なんて話、しょっちゅう耳にすると思いませんか?

さっさと降りた方が後片付けも楽ですし、被害が小さいうちに次のステップに進むほうが長期的には事態が改善するケースというのは、決して少なくはないのです。

逃げ道が強気の姿勢を支える

そこで大事なのが、いつ降りても逃げ込める安全地帯を用意しておくことなのです。

つまり、非常事態に備えて逃げ道を用意しておくという行動は、むしろ幸福な人生を送るために必要不可欠となる、健全な人生設計戦略の一環であり、極めて適切なリスクヘッジであると考えるべきでしょう。安全地帯というヘッジがあるからこそ、安心感を持ってリスクを取ることができるのです。

逆説的ではありますが、強気の姿勢を支えるのが、実は逃げ場の確保なのです。

だから、周りの目なんて気にすること無く、堂々と安全地帯を作っておいて、あとはドーンと構えておけばよいのです。


リスクヘッジは不測のアクシデントでも有効

リスクヘッジを担保しておくことは、自分の努力ではコントロールできないような不測のアクシデントの際にも、効果を発揮するのです。

実際に私は救われた

実際に、私の息子が10万人に1人の難病にかかり、入院生活のため研究が困難となった時期においても、社会人博士の鉄壁のリスクヘッジが功を奏し、経済的安定性を担保したまま修学期間を延長することができました。


こればかりは確率の問題です。私がどう足掻いたところで、息子が病気になったという事実を変えることはできないのです。

もし「退職+博士」を選択していたら…

これがもし退職をして就学するという選択していたらどうなっていたでしょう?家族のサポートを断念して研究を継続するか、研究を停止して経済的基盤もぐらつかせることになりながら介護に従事するかを選択する事態も避けられなかったかもしれないのです。

学振・授業料免除・RAは研究の業績とも連動しますから、これは死活問題です。

研究も満足にできない、家族が難病なのに、お金もない、もう目も当てられない状況だったかもしれないのです。

社会人博士だったからこそ

一方、私は社会人博士を選択していましたので、研究を停止して就学年数を延長し、年休もガンガン消費して、育児休暇まで取得しましたが、サラリーマンとしての安定した経済基盤を担保したまま家族のサポートに力を注ぐことができたのです。詳細は別エントリでご紹介したいと思います。

「退職+博士」の場合では、この状況でこれほどの経済的安定性を確保するのは、現実的に難しいでしょう。

二足草鞋という大きな負担を受容したからこそ得られるメリットが、ここで発動されたのです。

このように、一見弱腰な「逃げ道」という安全地帯が、立派に保険としての役割を果たしてくれたのです。

おわりに

ここでは、社会人博士課程を例に、「逃げ道」というリスクヘッジの大切さについて述べました。これは、不測の事態でも保険としての役割も果たしてくれる、頼もしい仲間だということを、奇しくも私自身が証明することになりました。

一般的に成り立つ

このリスクヘッジの考え方は、何も社会人博士に限定した話ではなく、社会の至る所に張り巡らされているのです。

一心発起で何かリスクを伴う挑戦をしようと思ったら、まずどのようにヘッジをかけられるかも、同時に考えるべきかもしれません。

日常生活から始める

そこまで大きな挑戦を伴わないにしても、日常生活のちょっとしたリスクに対して「この場合のヘッジってなんだろうな?」と考えることを習慣づけてみようと、私自身を戒めてみた次第です。

例えば、部屋の掃除なんかをしているときに、棚から物が落ちるリスクがあるからヘッジとしてバンドで固定してみようかな、とかそんな小さなことでも立派なリスクヘッジの思考術なんじゃないかと思います。

社会人博士のススメ ⑥なぜ社会人博士か?ー私の決断編ー

はじめに

下記事の続きです。

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前回までで、社会人博士課程のメリットとデメリットを述べてきました。

今回は、それら両方を加味した上で、私がどのように判斷を下したのかを書いていきます。

私の下した決断

を比較した結果、私の出した結論はこうです。

「おっもしれー!やってやろうじゃねーか♪」


そうですよ!全然大したことないです!考え方の問題です!

だって、これまでだって、自分のやりたいロボットの勉強のために余暇を惜しんで生活してきたわけです。それが博士課程の研究に置き換わるだけです。そんなに大きな問題ではありません。

たったそれだけのことで、経済的安定性を担保した最強鉄壁のリスクヘッジを獲得し、家族を安心して養いながら、私はやりたいことをやれてしまうのです!

これを明確に認識するに至った以上、私の心には迷う余地など一切ありませんでした。私の視界には、もはや一点の曇もなかったのです。こんなにうまい話、人生でもそうそうあったもんではないでしょう。


そう考えてからと言うもの、脇目も振らずに一心不乱に、これまで述べてきたような進学に向け、具体的な準備を行ってきたわけです。

久々に闘志が沸き起こったのをはっきりと覚えています。会社で与えられる定型的な業務こなす毎日で、全くと言っていいほど刺激の欠く生活を送っていた私にとっては、むしろ社会人博士進学に向けた作業は楽しかったくらいです!胃が痛む思いはしましたが笑、今となってはいい思い出です!もう何でもポジティブに考えましょう!

変わり者と言えば、変わり者の考えではありますが笑、この広い世界で、誰か一人でも似たような考えを持った方のご参考になれば幸いです ^^

メリットとデメリットを総合的に評価しよう

さぁ、

を見てみて、如何でしたでしょうか?

メリットについては素敵だけど、デメリットについてはお気軽に受け入れられるものではなさそうだと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?はたまた、デメリットも案外受け入れられるんじゃないかと感じる方もいるかもしれません。

いいねー、と思った方へ

これらを両天秤にかけて、ご自身の価値観と照らし合わせた結果、「行ける!」と思ったそこのあなた。是非社会人博士の道を選択されることをオススメします。その気持ち・モチベーションさえあれば、なんてことはありません。共に社会人博士の仲間として、切磋琢磨しましょう。


やだねー、と思った方へ

一方、「やっぱり自分には無理だ」とはっきり思った方は、直感に従って降りたほうが賢明です。家族団欒の時間、業務後の飲み会、週末に共通の趣味を持つ友人との交流などなど、人それぞれ大切にしているものは異なるはずです。それを犠牲にしてまで進学するなんて嫌だと思うなら、素直にその感情に従うべきだと思います。


興味はあるけど決められないー、と思った方へ

どっちか決められなくて悩んでいる方は、悩む時間がもったいないです!まずは行動を起こしてみると良いと思います ^^ インターネットで情報を探すだけでも、気持ちがワクワクしてくるかもしれません。

仮にポシャったって、人生終わるわけではありません。今まで見たこともないような新しい世界が、そこで待ってくれているかもしれません。勇気を持って行動すれば、道は開けます。是非社会人博士への扉を開いてみて下さい。


それでも不安という方、とりあえずその不安は瞑想でもして忘れまてしまいましょう笑。やらなければならない状況に身をおいてみれば、意外と何とかなってしまうものです。波乗りと言いますか、うまく流れに身を任せておけば、結構なるようになるものです笑。

それに、やっぱり自分には向いていない思ったら、さっさと降りてしまえば良いのですから、まずは気軽な気持ちで行動してみるのも悪くないと思います ^^

長い人生の内のたった4年か5年の話です。ちょっと二足の草鞋を履いてみるっていうのも、悪くないかもしれませんよ♪

社会人博士のススメ ⑤なぜ社会人博士か?ーデメリット編ー

はじめに

下記記事の続きです。

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前回は、社会人博士のメリットについて書きました。最強鉄壁のリスクヘッジを後ろ盾に、やりたいことをやるための手段としては、合理的な方法ではないかと述べました。

そんないいとこだらけのように見える社会人博士ですが、当然デメリットもあります。今回はそれについて記述していきます。

デメリット

時間がない

本当に、ただただこれに尽きるでしょう。間違いなくこれが最大のデメリットです。

08:00~17:00 までは普通にサラリーマンをやっているわけですから、それ以外の時間で研究をするしかありません。


1日のスケジュール

例えば私の場合、子供が生まれる前は下記のようなスケジュールで行動していました。その日の予定によって変動するのであくまで目安ですが、大同小異です。

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ショートースリーパーになる上、遊ぶ時間なんて無いのが分かると思います。まずこのスケジュールを見て、

「あー、頑張ればなんとかやれるかな!」

「おー、やってやろうじゃないか!」

「うひょー。面白そうじゃん!」

くらいの感覚が持てないなら、社会人博士は降りたほうが賢明です。

「うわー、やりたくない!」

「そんなの自分には無理!」

「遊ぶ時間が無くなるのは耐えられない!」

と感じた方。それは正しい反応です笑。こんな生活、ただ辛いだけだと思います。

そりゃぁそうです。だって、最強鉄壁のリスクヘッジを堅持しながら、やりたいことをやるという究極のうま味を味わうわけです。この程度の代償は覚悟しなければならないでしょう。

むしろ、

「社会なんて辛いものなんだから、我慢するのは当たり前だ!」

「皆我慢しているんだから、おまえも同じように我慢しろ!」

「やりたいことをやろうだなんて、贅沢者のすることだ!けしからん!」

といった価値観が漂う社会で、自分は抜け駆けしてそれをやっちゃおうとしているわけですから、この程度のコストで済むと思えば安いものです。何度も言いますが、どう転んだ所で経済的基盤は揺るがないのですから。

しかし私の場合は、やってみると不思議と全く苦痛ではなかったのです。心からやりたいと思っていたことをただやっているだけなのですから、喜々としてこんな生活を送っているわけです。社会人博士を始める前までは朝7:30に起きるのも億劫な超寝坊助野郎の私が、朝4:00にパッチリと目が覚めるのですから、人間とは分からないものです。妻にもすっかり呆れられてしまいました笑。

タイムマネジメントが必要

こんな生活を強いられるわけですから、仕事でもプライベートでもダラダラ過ごすわけにはいきません。いつ何をすべきなのか短~中期的なタイムマネジメントは常に意識して行動する必要があるでしょう。

日々の業務や研究の計画を全く立てることができないような心構えでこの生活に挑んでも、高い確率でメタメタにやられてしまいます笑。

社会人博士を始める前段階で、日頃の業務計画を立案するレベルの習慣くらいは身につけておべきだと思います。

せめて、会社でダラダラ雑談をしながらただ気の赴くままに仕事をしたり、家でスマホ・ゲーム・テレビと言った娯楽に漫然と浸かるような生活は、スパッと辞めるくらいの意識は、必要最低限の条件と言えるでしょう。

だたし、この生活には良い面もあります。とにかく早く帰って研究したいものですから、何としてでも仕事を定時に終わらせる習慣が身に付くのです。確かに時間はありませんが、否が応でもタイムマネジメント能力を身に付けざる得ない環境に身をおくことができるいう点で、メリットと捉えることもできます。

家族の理解を得るのが大変

こんな生活をするのですから、当然家族の理解を得る必要があるでしょう。当初は学費も自分で賄うつもりでしたし、家族団らんの時間だって大幅に奪うことになるのですから、パートナーにとってはそれ相応の負担となることは配慮する必要があるでしょう。


実際、私が社会人博士のことを最初に妻に相談した時、結構揉めました。精神的にはこのステップが一番辛かったと思います。胸が苦しくなる日が続いたこともあります…。

それでも、小遣いは削ってもらって良いと食い下がって、何とか承諾を得ることができました。こればっかりはハウツーではなく、夫婦の間の信頼関係がものを言うことになるので、日頃から感謝の気持ちを持って家族と接するのが良いのかもしれません。

ちなみに、すったもんだの末に、会社からの授業料全額支援が決まったのですが、この順番も結果としてはいい方向に働いたのかもしれません。妻としては、お金も時間も奪われるのかと思って警戒していたところ、お金の問題が解決したことで相当安心感をもってくれたようです。

そんな状況だったので、

「なーんだ、一番問題だったお金は心配しなくていいんだ。それならあとはあなたが自分で時間やりくりして好きにやればいいじゃない?こっちはこっちで好きにやりますから。」

みたいな意識になってくれたようです笑。実にありがたい話です笑。

職場の理解を得るのが大変

これも死活問題です。資料の作成や社内調整を含め、最も作業的負担を要したのがこのステップです。

社会人博士のススメ ④なぜ社会人博士か?ーメリット編ー - MoriKen's Journalでもご説明しましたが、私の場合は、必要な説明資料の作成や上層部に対するプレゼンテーション、その他社内調整等を半年間近くに渡り粘り強く行う必要がありました。もちろん、資料の作成等は業務時間外に行わなければなりませんでした。

これを継続するマインドと、上層部から反発を受けるかもしれないというプレッシャーに打ち勝つストレス耐性が必要と言えるでしょう。何を隠そう、偉そうに語っている私自信も、本件については胃が痛くなるような思いを何度も経験しましたから笑。

これを乗り越えるだけの覚悟があるかどうかは、社会人博士の道を選ぶ際の一つのファクターとなるでしょう。


自分にあう先生を見つけるのが大変

指導教員側からも、理解を得る必要があります。やはり、社会人博士というのは特殊な身分ですから、必ずしも先生の皆が皆受け入れてくれるわけではないのです。これは事前に複数の先生と実際に会って話をしながら見極める必要があるでしょう。

詳細は別エントリで説明しますが、研究分野、人間性、大学の制度や所在地などを総合的に評価しながら、最終的に弟子入りする先生を決めて行く必要があります。当然ですが、業務時間外での作業となるので、やはり負担は小さくはありません。実際私は年休を使って先生に会いに行ったこともあるくらいですので、そういうものだと認識しておくのが良いと思います。

それに、必ずしもすべての先生から良い反応をもらえるわけではないので、残念な思いをすることもあるでしょう。そういう経験をすることも覚悟の上で、めげずに継続して先生を探し続けられるほど本気で進学したいのかどうかを、事前に検討する必要はあると思います。


アクシデントが起きたら真っ先に研究を切る必要がある

当然ですが、いくらやる気があると言ったって、必ずこの生活が成立するだなんて保証することはできません。個人の努力ではもうどうすることもできないようなアクシデントが起こるのも、また人生です。

スケジュールを見直すとなると、指導教員や、社内調整などが必要となりますし、何よりせっかく軌道に乗ってきた研究をみすみす手放さなければならないような状況も覚悟しなければなりません。会社としても、業務を最優先してほしいわけです。研究は本業ではありませんから、いざという時の優先順位が低くなるということを認識しておく必要があるでしょう。

本業で研究をしている人とは、ここの事情が本質的に異なるのです。

例えば私の事例で言えば、就学中に授かった私の息子が10万人に1人の先天性心疾患を患ってしまったため、生活上の精神的・物理的な負担が急増するという特殊な事情を、突如として抱えることになってしまいました。


そろそろ着手しようと思っていた研究のネタがあったのですが、長期間に渡り放置せざるを得ない状況に陥ったのです。

でも、リスクヘッジは効いた

ただし、本件について生活がグチャグチャになってしまったとき、社会人博士ならではの鉄壁リスクヘッジが効力を発揮することになったのです。退職して就学するという選択をしていたら大変なことになっていただろうと、ヒヤッとした感情を抱いたのも記憶に新しいものです。

まさか私自らが社会人博士のリスクヘッジの有効性を証明することになるとは、夢にも思っていませんでした…笑。

リスクヘッジの有効性についての考察は、下記エントリをご参照下さい。

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私の下した判断は?

さぁ、如何でしたでしょうか?

社会人博士のススメ ④なぜ社会人博士か?ーメリット編ー - MoriKen's Journalでご紹介したメリットも素敵ですが、今回のエントリでご紹介したデメリットもお気軽に受け入れられるものではなさそうだと思った方もいらっしゃるかもしれません。

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次回はこれらのメリット、デメリットを加味した上での私の判断について述べたいと思います。

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社会人博士のススメ ④なぜ社会人博士か?ーメリット編ー

はじめに

下記記事の続きです。

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前回は、なぜ私が「退職+博士号」を断念したのかを書きました。家族持ちのサラリーマンが退職するリスク負ってまでやりたいことをやるという選択が、私の価値観としては許容できなかったのです。なんだかんだ言って、日頃から自分を支えてくれている家族は大切だと思うのです。

というわけで今回は、社会人博士を選択するに至った理由を述べることにします。決して、「退職できないから仕方なく」という消極的理由だけで選択したのではないことを説明したいと思います。

まずは、メリット編です。

それにしても、ようやくここまで来ましたね笑。前置きが長くなってすみません。 それだけ本気で、それこそ頭が擦り切れそうになるほど、悩み続けていた問題だったのです…。


でも、社会人博士課程に進学した今、全く後悔はありません!悩んで良かった、この選択をして本当に良かったと、心の底から思っています ^^ 自分と向き合って考えた甲斐がありました。


社会人博士の種類

メリットを話す前に、簡単に社会人博士の取得方法について紹介しておきます。大きく分けて、課程博士と論文博士があります。

課程博士(甲)

課程博士とは、いわゆる普通に大学に通って研究をしたり、授業を受けたり、ゼミに参加して先生と議論しながら、博士論文を完成させていくスタイルの博士号取得方法です。世界的にも標準的なスタイルですね。

私はこちらを選択しましたので、本ブログで社会人博士について述べている場合は、課程博士のことを話しているんだと思って頂いて問題ありません。

論文博士(乙)

一方、論文博士とは、ざっくり言ってしまえば、会社での業績をまとめて博士論文を書いた成果に対して学位を与えるというものです。ただし近年、論文博士の社会的価値について見直されており、制度自体が廃止に向かっています。世界的に見てもこの制度は日本にしか存在しないもので、極めて特異な制度という認識は持たれていたようです。

実体としては、すでにそれなりのポストを獲得したベテラン社員が箔をつけるためにと活用されることが多かったようで、教育としての機能が欠落する傾向があったのです。

博士たるもの、先生との議論や、学会発表の経験などの体感的な刺激から得るものが重要なはずで、それを軽視したように受け取られる論文博士なる制度は何事ぞ!という気風が高まっていったのですね。

それに、若い人こそ、課程教育で揉まれる中でスキルを高め、社会貢献のできる人間として世に出るべきなのです。これは長期的な視点にたっても価値のあることですし、そういう人材を育成することこそが本来の大学の基本的役割と言えるでしょう。

どうにしろ私には課程博士しかなかった

まぁ、そもそも私の場合、会社でやりたいことがやれない部署に配属されて大学院に逃げ込んだわけですから、論文博士に相当する成果なんてそもそもないわけです笑。

考える間もなく課程博士一本で話を進めることになりました。

メリット

それでは、社会人課程博士のメリットを述べます。

安定した経済的基盤の確立

何と言ってもこれに尽きます。

学業と仕事を両立しているので、毎月安定した給与が保証されています。学振や授業料免除が通るかヒヤヒヤする必要など一切ないのです。


当然学費はかかりますが、やっぱりサラリーマンの経済力は学生のそれと比べれば格段に安定しているのです。月々のお小遣いを諦め、飲み会や出歩きも控え、夏冬の各ボーナスから一部補填すれば、例えば国公立大学の年間の学費である約50万円を捻出することは決して難しい話ではありません。

それに、ちゃんとやりくりさえすれば、生活水準を落とすこと無く家族を養うことだって十分可能です。前エントリで紹介した退職して就学する選択に比べれば、経済状況的には格段にベターなのです。一家の主としての社会的責任をきちんと果たしながら、自分のやりたいこともできる状況を作り出すことができるのです。

今の御時世、博士学生が経済的な観点で全く不安を抱かなくて良い状況というのは、馬鹿にできないほど大きなメリットなのです。安定した精神状態で研究ができることにも繋がるのです。

社会人プログラムの活用

近年では、大学側も社会人が大学院へ進学するニーズも把握しているようで、社会人専用のプログラムを用意していることも少なくありません。業務で多忙な社会人を配慮した様々な制度が整備されつつあります。


以下、現在私の通っている大学での制度を例として挙げておきます。大学によって制度はまちまちなので、プログラムの具体的な内容は各大学のホームページや教務課で確認して下さい。

入試で学科試験が免除

私の通う大学院では、入試で学科試験がありませんでした。

私の受験したケースでは、主として面接形式で、志望理由や大学院でやりたいことについての問答を行った後、修士時代の研究内容や博士での研究内容についてもう少し掘り下げてプレゼンテーションを行い、追加の質疑応答に対応するというものでした。自信を持って対応すれば、なんてことはありません。


特に私の場合、業務と異分野の研究を行うという事情もあり、職場での調整に多くの時間を割くことになりましたので、学科が免除されたのは本当に助かりました。

もちろん学科も大事であることは認識しております。やれと言われたら、もちろんしっかり勉強はしますが、無いなら無いに越したことはないでしょう。

やりたいことは研究です。博士学生なら、必要となれば学科の勉強程度のことなど自分で勝手にやるものだと思いますので、入試段階での学科免除はむしろ合理的なのではないかと思います。面談を通じて、本人のやる気や博士としての適正を見極めることに注力することは、そんなにおかしな話ではないと思います。

こうして私は、学科免除で浮いた時間を使って、社内調整用の資料作成や、大学の情報収集に力を入れることができ、社内制度を活用した授業料全額支給の資格を獲得できました。これについては後述します。

長期履修プログラム

私の通う大学院では、学費の総額はそのままに、就学年数を最大6年まで、1年単位で延長する制度がありました。 授業料の総額を総年数で割った金額を毎年支払えばよいのです。

下記表をご覧頂ければ、何を言っているのか分かって頂けると思います ^^

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入学時に何年就学するかを決めて申請を出しておきます。もし何らかの事情で就学年数を変更したい場合は、各年度の終わりに研究の遂行状況に合わせて期間を延長したり短縮したりすることが可能です(その場合でも総授業料は変わりません!)。

業務との兼ね合いの問題で年数を調整できることはもちろんのこと、授業料を分割払いできるという観点からこの制度を見ることもできます。例えば、自分の給与と家族の要求する生活水準に合わせて、年間に授業料として支出可能な金額を算出し、それに適合するような就業年数を選択するという活用の仕方もありでしょう。

当然、指導教員との調整は必要でしょうが、就学期間が長期化する限りにおいては、拒否する理由は基本的には無いのではないでしょうか。その分長期間に渡り研究にコミットするという約束をする範囲においては。それか、その条件を飲んでくれる教員を粘り強く探し続ければよいでしょう。いずれにしろ、ここはなんとかなるでしょう。

しかも、最大限延長しても総額は全く変わりません。つまり、本質的には利息0円で借金をしているとも解釈できるでしょう。何と素晴らしい話ではありませんか。

なお、私は入学当初4年で計画したのですが、途中で家庭の事情により就学が困難な期間が発生したため、5年に延長しています。

これと類似の制度は多くの大学院で整備されているようで、検索すればたくさんヒットします。いい時代ですね。

講義単位取得の効率化

課程博士の場合、数は少ないにしても講義の単位を取得しなければなりません。正直、学科の勉強なら講義でやるよりも自分のペースでやったほうが効率的ですし、社会人という立場もあり決められた時間で拘束されるのが辛いのです。

立場的にどうしても業務最優先となるので、毎週決まった時間に必ず登校することを保証するのは、現実的に難しいのです(実際私はできませんでした…)。

そこで、例えば会社の出張で参加したセミナーや、学会でのプレゼンテーション経験を単位に置き換えることができる制度が整備されている場合があります。これを活用しない手はありません。せっかく登校できる貴重な機会に、いやいや講義を受けるのではなく、先生や学生と研究に関する議論をするための時間を存分に確保できるわけです。

さらに、授業によっては講義がWebで動画配信されている場合があります。私の指導教員が担当する授業ではたまたまこの形式を採用していたため、真っ先にこれに飛びつきました。自宅で晩ご飯を食べながら講義動画を見たり、夜中にレポートを作成しそのままメールで提出することができたので、比較的楽に単位を取得できました。


ちなみに、18時以降に開始する夜間講義の制度もあったので、それを活用する手もあったのでしょう。しかし、実際にはこの制度は先生と生徒の双方にとって負担が大きく、選択しないで欲しいなぁみたいな暗黙の空気が流れていることもありました。制度が存在することと、それが有効であることは意味が違うのです。実際のところ、どの制度をどこまで使えるのか、事前に指導教員によく確認しておくのが得策でしょう。

リスクを取っても経済的には問題ない

コレも社会人博士ならではの素晴らしいメリットです。

例えば、研究がコケたとしても、社会人なのでいつでも帰れる場所があり、経済基盤が崩壊することはありません。資金獲得のためにやっきになって無理やりテーマを捻出しなければらないこともないし、途中で研究の才能に見切りをつけなければならないことに気がついたとしても、生活まで脅かされることは無いのです。


ですから、研究分野的に少しリスクを取ってでも、純粋にやりたいことをやるという選択も可能なのです。

もちろん、やりたいことを重視するあまり、明らかにレッドオーシャンな分野に突っ込んで全然論文が採択されないといったような研究の仕方では博士の品格が疑われますが、ここで言いたいのは「資金獲得を目的として研究テーマを選定しなければならない」という悩ましい状況から解放されることが、社会人博士の利点だということなのです。

最悪逃げればいい

それに、最悪研究が大失敗し、これ以上続けるのは精神的に辛いと本気で感じてしまったときには、退学して逃げてしまえば良いのです。それまで勉強した内容は決して無駄にはならないはずです。自分の適性を把握することができたとポジティブに考え、次のステップに進めば良いのです。逃げた所で経済的基盤は揺るがないのですから。


ずるいと思いますか?私はそうは思いません。

もちろん、指導をしてくださった先生に対してはそれなりのご迷惑をおかけすることになるので、もしそうなってしまったら謝罪の気持ちは表明し、誠意を持って然るべき対応はとるべきでしょう。結論を出す前に、指導教員としっかり話し合う礼儀も忘れてはいけません。

しかし、周りの目ばかりを気にしてしまい、極度の責任感により無理がたたり、鬱や自殺が蔓延するくらいなら、逃げるというのはよっぽど健全な判断だと私は思います。

逃げ場があると思えば心もリラックスするものです。蛸壺状態でピリピリしているよりも、少しドライに考えたときのほうが物事の本質が見えてくることだってあるのです。本質を見抜きやすい環境で勉強できることは、研究遂行の上でも有利な状況と言えるでしょう。

幸福な人生のためのリスクヘッジ

それに、いざというときのために安全な逃げ場を用意しておくことは、決して弱腰なことではありません。

これについての詳細は、下記エントリをご参照下さい。

www.moriken254.com

この考えに基づくと、リスクヘッジは決して弱虫のやる行為ではなく、合理的な生存戦略の一環なのだと解釈することができます。

万全なリスクヘッジを後ろ盾にできる社会人博士は、一般にどんよりとした雰囲気が立ち込める博士課程の世界において、極めて健全な精神状態を保ちながら、やりたい研究を遂行できる身分と言えるのです。

会社が学費を払ってくれる場合も

これは若干裏技的ですね。ここまで説明しただけのメリットを担保した上で、学費の経済的援助まで受けられれば、鬼に金棒ですからね。

ある程度の規模のメーカであれば、会社公認の大学院派遣制度を設けている場合があり、うまく活用すれば授業料を全額支援して貰える場合もあります。会社に制度があるなら、使わない手はありません。


私は最終的に会社と折り合いをつけ、この大学院派遣制度によって授業料全額の支援を受けることができました。ただし、業務と異分野の研究をするという事情もあり、一筋縄で行ったわけではありません。

最初は授業料全額を自分で負担するつもりでいたのですが、上司に相談したら会社の制度の活用を勧めてくれたことがきっかけとなりました。棚からぼたもちだったのです。その後、必要な説明資料の作成や上層部に対するプレゼンテーション、その他社内調整等を半年間近くに渡り慎重に遂行したことなど、総合的な戦略が功を奏したからここにたどり着くことができたのだと思います。

当然会社のお金を使うわけですから、自分勝手にやらせろと駄々をこねて主張が通るほど簡単な話ではありません。しかし、競争の激しい奨学金や授業料免除、学振の椅子を取り合うことに比べれば、かなり勝算はあるだろうなと感じていたので、自信を持ってグイグイ(でも慎重に)行動していくことができました。社会人博士になりたいなんて人、会社に殆どいませんでしたから笑。ブルーオーシャンもいいところです。

これには家族も大喜びでした笑。

まぁ、これは正直運の要素も強いと言わざるを得ませんが、チャンスを目の前に行動を起こす力も実力のうちです。ダメ元でもいいから、まずは積極的に会社に働きかけることをオススメします。ダメだった所で経済基盤は確立されているのですから。

詳細はまた別のエントリで書こうと思いますが、こういうやり方もあるということを知っておくことは、キャリアプラン形成の上で決して無駄にはならないのではないでしょうか?

目からうろこ

さてこのように、経済的安定性と研究のリスクを両取りできるという最強にして鉄壁のリスクヘッジを後ろ盾に、しかもうまく行けば会社から授業料まで全額支給してもらいながら、家族を養うという社会的責任も全うした上で、自分のやりたいことまでできてしまうだなんていうあまりに美味しい話が、この御時世においてまだ残されていただなんて、驚きではありませんか?

当時私自身が本件について考察し、このうまさに気が付いた時、目からうろこではないか!と感激したものです笑。


何度も言いますが、博士を志す人間にとっては、経済的安定性は本当に死活問題なのです。リアルに生死がかかる程の笑えない話なのです。

社会人博士のこの状況、学生にしろポスドクにしろ教員にしろ、純粋にアカデミックの道に進んだ立場の方では、中々享受できないような待遇なのではないでしょうか?

デメリットもある

何か、いいとこだらけのように見える社会人博士ですが、当然デメリットもあります。ここも評価しないとフェアではないでしょう。これだけのメリットを享受するからには、皆が皆受け入れられるようなものではない重い負担があるのが現実なのです。

しかし、このデメリットを許容することも考えてこそ、納得感を持って社会人博士への進学を選択できるというものです。

というわけで次回は、社会人博士のデメリットについて述べていこうと思います。

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社会人博士のススメ ③なぜ退職+博士を断念したのか?

はじめに

下記記事の続きです。

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ここまでで、やりたいことをやる上でなぜ博士課程を選んだかを記述しました。本当に自分がやりたいことをやるには、これが妥当だったと私は考えたのです。

博士課程にも色々あるけど?

一口に博士課程と言っても、色々取得の仕方はあるわけです。

退職して博士号を取るとか、海外大学院に留学するとか。

それぞれについて比較検討を加えていき、私の価値観と照らし合わせた結果、たまたま社会人博士が妥当だったというお話です。

なぜわざわざ二足草鞋の負担を抱えながらも社会人博士課程を選択したのかを書いていきたいのですが、そこに至るまでには「退職して博士号を取得すること」について考察し、それを断念したという経緯があったのです。

そこで今回は、なぜ私が「退職+博士号」を断念したのかをテーマに、その経緯を記述していきます。

退職して博士号を取る場合(日本編)

メリット

全ての時間を研究に注ぐことができる

退職して博士号を取る場合の最大のメリットは、全ての時間を研究に注ぐことができることに尽きるでしょう。

朝から晩まで興味の赴くままに自分のやりたいことをひたすらやり続けられるなんて、もう幸せの絶頂だと思います。


インターンシップのチャンス

それに、博士で培った専門技術を活かせる会社に就職することもできるでしょう。進学した大学院やコースによっては、企業でのインターンシップや、海外大学院への派遣留学のチャンスを掴むことだって比較的容易でしょう。学生の身分なら、かつての競合他社の工場見学だってできちゃうわけですね。

一度企業での就業経験を積んだ身としてこれらの経験をすることで、社会に出る前の学生時代とはまた異なった観点から刺激を受けることになるのは間違いありません。

一度就職した人間が、これほど素晴らしい経験ができる機会というのは、人生そうあったものではありません。勇気を出して行動を起こした者だけが享受できる報酬と言っても過言ではありません。

デメリット

経済的基盤の崩壊

これはやはり、経済的基盤が崩れることが挙げられます。よほどの富豪の家で育たない限り、このケースを選択した多くの方は、貯金を切り崩しながら生活することになるでしょう。


やりたいことにどっぷりと浸かることができる幸福感の代償と考えれば、本人が納得するのであれば妥当と言えます。

もちろん、優秀な学生であれば授業料免除や学振を活用することで資金援助を受けることはできるでしょうが、狭き門です。皆が皆該当するものではありません。

それに、退職した次の年度に授業料免除の資格を獲得することは一般的には困難と思われます。受給年度の前年度の所得状況も審査に影響するため、これまで普通にサラリーマンをやっていた方は、就学初年度の免除は却下される確率が非常に高いのです。

住民税も前年度の所得に応じて算出されるため、就学初年度は収入は減り、授業料免除も期待できないのに、税金は高いという、経済的には踏んだり蹴ったりな状況は免れません。この困窮を耐えるだけの覚悟が必要なのです。

しかし、本気でやりたいという強い意志があれば、この選択をする人もいらっしゃるでしょう。

家族の理解

ただ、既婚者は現実的に難しいでしょう。共働きで、かつパートナーが理解を示してくれるほどに信頼している家族でない限り、ハードルが高いのが実状ではないでしょうか。

大切な家族が明日食っていけるか心配してしまうような状況になるリスクを負ってまで、退職して勉強することに価値があるのかは、しっかりと考え、家族と話し合うべきでしょう。


退職して博士号を取る場合(海外編)

海外の大学院で博士号を取るという選択肢もあります。国内とはまた少し事情が変わってくるのです。

ここでは、アメリカ留学、かつ理系に限定して考えてみることにします。


メリット

経済的基盤の確立

何と言っても、経済的支援がバツグンに良いです。理系かつ博士課程についてですが、殆どの場合、授業料+生活費が賄えるほどの資金的援助が得られるでしょう。


RA、あるいはTA制度により、学生が最低限生活を送れるだけの経済的援助が得られる場合が多いのです。というか、複数の大学院を受験して、経済的援助が得られる条件を提示してくれた学校に入学するのが、米国大学受験の場合の健全な進学戦略となるでしょう。

RAであれば研究により社会貢献をした学生に対して給与として報酬を与え、TAであれば下級生に教育を施した対価として報酬を与える、という考え方が定着しているのです。しかも、日本の大学で院生がアルバイト感覚で稼ぐのとは異なり、独立して生活を賄えるレベルの賃金が獲得できるのです。特に、TAはそれが博士学生に対する訓練という位置づけにもなっており、将来アカデミックなポストに付くことを想定した教育も兼ねているわけです。

日本の博士学生が直面するような経済的負担を極力軽減しようとする強い意志を感じられます。学生が純粋に研究や教育に打ち込むことができる環境を、大学が積極的に用意しているのです。むしろそういう待遇を用意しないと、世界中の優秀な学生が他の大学に流れてしまうからです。実力主義を重んじるアメリカらしい考え方と言えるでしょう。

世界中の学生との交流

晴れて進学すれば、世界中の様々な国からやってきた、多様な価値観を持つ優秀な学生達と議論をすることで、日本にいるだけでは得られない強烈な刺激を受けることになるでしょう。


Ph. Dホルダーは高給取りに

卒業後の就職に関しても、アメリカでPh. Dを取った暁には、日本にこだわらず世界に目を向けることができます。何より、欧米諸国におけるPh. Dホルダーに対する評価の高さは日本の比ではありません。例えば、アメリカ国内であれば(専門にもよりますが)、Ph. Dホルダーの初任給が1000万円というのもざらのようです。それだけ責任のある仕事をいきなり任せてもらえるほど、Ph. Dの社会的信用が極めて高いのです。

過酷なPh. Dという進路を選択するリスクをとった勇気、そして不断の努力により厳しい競争を勝ち抜いた研究者としての実力が、待遇的にも経済的にもきちんと報われるような社会構造が構築されているのが、自由の国アメリカなのです。どこぞの国の博士とは、根本的に事情が異なるのです。

下記のブログサイトにて、日米の大学院の違いについて分かりやすく解説されていると思います。

non-americanization.hatenablog.com

日本編のメリットも踏襲

これだけの条件が揃った上で、先に日本編で述べたメリット(研究しまくれる、インターンシップのチャンスがある)を享受することができるのです。これだけ見れば至れり尽くせりのように見えてくるものです。

デメリット

もちろん、これだけの待遇を得るからには、それなりの鍛錬を要します。基本的に、過酷な競争環境にさらされることになるでしょう。

受験が大変

まず、受験からしてキツイです。TOEFLやGREと言った英語や基礎学力のテスト、志望理由、推薦書などなど、どれもこれもみっちりチェックされます。当然全て英語です。

志望理由なんて当たり障りのない内容でも受かるのでは?というどこぞの国の院試の心づもりでいると、間違いなく落っこちるでしょう。その大学で研究したい内容とその理由を明確にし、それを熱意を持って、かつ英語でロジカルに伝えねばなりません。

推薦書も死活問題です。推薦書なんて学生がテンプレ作って…みたいな話をどこぞの国ではよく聞くと思いますが、そんなんじゃ絶対ダメでしょう。最終的な合否判断に直結するほど、推薦書は極めて大切な書類なのです。自分をよく理解し、高く評価してくれていて、かつ英語でその思いを真摯に綴ってくれる、社会的にも信用のあるポストにある推薦者を、例えば5人用意しろと言われて、思い浮かべることができますか?これも相当な負担となります。

しかも、受験者自身の英語力だって当然求められます。高いクオリティの研究が行える大学院に行こうと思えば、TOEFL iBTで100点は取る必要があるでしょう。これは並の勉強で達成できる点数ではありません。長期間に渡り、かなりの努力を要することになるでしょう。

TOEFL 100点というのは、おそらく感覚的には、TOEIC 900とか余裕くらいの基礎力があるのは当然の前提条件で、その上ライティングもスピーキングもリアルタイムに普通にこなすことができ、かつ論理的思考能力もプレゼンテーション能力も備わっている人が、頑張って勉強してようやく到達できる、という感じではないでしょうか。


米国大学院の素晴らしい教育は、誰でも彼でも享受できるような、お気楽なものではないのです。

進学してからも大変

そして、進学してからが本番でしょう。どこぞの国の大学院のように、年数が過ぎれば下駄を履かせて卒業させるなんて技は通用しない厳しい競争社会が待っています。ダラダラやっていたら本当に学位がもらえないまま退学させられてしまうのです。

だって、お情けなんかで学位を与えたら、Ph. Dの信頼が失われてしまうでしょう?社会もその実力を信用しているのには、それなりの理由があるのです。

もちろん、競争をバネにやる気を奮い立たせることができる人は、これはメリットとなるでしょう。是非チャレンジするべきだと思います。得られるものは半端なく多いのですから。


家族がいたらもっと大変

それに、独り身ならまだしも、家族がいたらどうでしょう?いくら経済的支援を受けられるからとは言え、自分一人の希望のために、言葉も通じない異国の地に家族全員を連れて行くというのは、色々な理由でかなりのエネルギーが必要でしょう。経済的支援があるとは言え、それで家族全員を養おうと思ったら、アメリカの物価を考慮するとかなりの切り詰めが必要となるでしょう。

やはり、既婚の普通のサラリーマンが選択する道としては、海外留学はかなりハードルが高いと言えるのが現実です。


そして、「退職+博士」を断念

こういう現実を前に、私は「退職+博士」を断念することとしました。


厳しい競争の中で自分を成長させたいという意志はありました。過去に、本気でアメリカ大学院留学を検討したこともありました。TOEFL iBTも90点台まで取得し、英語力だけで言えばあと一歩のところまで尽力したこともあります。

しかし、今や私は既婚者で、妻は専業主婦です。私は家族を養うという社会的責任を負っているため、退職を伴う行動は、私の価値観と照らし合わせた結果としては、リスクが大きかったのです。

いくらやりたいことがあるとは言え、明日飯が食えるか心配になるような生活だけは回避したかったのです。

それに、実は単に消去法だけで社会人博士を選択したわけではありません。社会人博士は社会人博士なりに、決め手となる大きなメリットがあり、積極的にこれを選択するに至った理由があるのです。

その辺りの話は、次回することに致します ^^

↓次回
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社会人博士のススメ ②なぜ博士を選んだのか?

はじめに

下記記事の続きです。

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ここまでで、やりたいことをやるために行動を起こそうと思ったきっかけについて話してきました。

本記事では、なぜ色々手段がある中でも博士課程を選択したのかを書いていきます。

そんなにやりたいことがあるなら職場を変えれば良いのでは?

人事異動は?

真っ先に思い浮かぶのはこれでしょう。当然、会社の正式なキャリアプラン希望として、私は入社一年目から継続してロボット関連の部署への希望を出しております。(多分、良い子は真似してはいけないかもしれませんが笑)

でも、ある程度の規模の会社だと、希望を出せばおいそれと通るようなことなど、そうそうあり得ないでしょう。人事にも色々な事情があるようで、個人の希望なんて一々聞いていたら組織が成り立たないわけです。

そこで、自分が希望する部署の方を相手に、学生時代の研究成果を紹介したり、寝る間を惜しんで希望部署の人が抱える問題を一緒に考えたり、シミュレータを自主的に開発して実験結果を提出したりと、自分ができることは色々やったと思います。終業後自宅でいそいそとやっていたかなと。

それでも、やっぱり何も変わりません。そんなことくらいで人が動くほど、企業の人事はゆるいものではありません。人事異動とは、個人の都合でどうにかなる問題ではないことを、はっきりと悟りました。

そもそも、人事異動などという他力本願的なものに自らの人生を委ねるという考え自体が、(少なくとも私の価値観と照らし合わせると)誤った考えであると、明確に認識するようになりました。大人の階段です笑。

本気でやりたいことをやるなら、自分で道を切り開くしかないのです。

会社員なんてポップコーン一粒みたいなもの

私が配属の希望を出すことなんて、映画館で買えるような大きな容器に入った大量のポップコーンのうちの一粒がちょっとしょっぱくなったかな?程度の価値のものなんだと思っています。

その一粒が、多少他のポップコーンよりしょっぱかった所で、他の多数のほどよいしょっぱさのポップコーンに埋もれてしまうわけです。映画を見ている人にとっては、ポップコーンが一粒しょっぱかったところで何も気になりやしないものです。

むしろ、一粒だけ妙に味が異なっていると、ウワッなんか有る!なんて避けられたり笑。

さしづめ、そんなもんだと思っています。


転職は?

その手段もあるでしょう。

しかし、希望は通らなかったとは言え、会社、社風自体は嫌いではないのです。とてもいい会社と思います。 職場の人間関係も良好で、仕事についても悪い評価を得ているわけではありませんでした。

そりゃー不満が全く無いかと言われればさすがにそう言うのは難しいですが、一切の不満が無い職場なんてそもそも存在しないと思います。どこで働いても、何かしらの不満は避けられないのが現実です。この世界に地上の楽園など存在しないのですから。

少なくとも今の職場では、贅沢はできませんが、家族を養い、たまに外食を嗜む程度に、生活を楽しむことができていましたから。

それに、やりたいことができる部署自体は存在しているし、異動が絶対叶わないとまだ決まったわけではありません。

冷静に自分の状況を分析すると、私ごときの人間としては、そんなに悪いポジションではないのです。

多数のポップコーンの一粒とは言え、今の御時世、一応美味いと思って食ってもらえるだけ、恵まれていると考えることができます。

意識の転換

そもそも仕事にやりがいを求めるというのは人生のウソ

そして、思うようになります。

「そもそも、仕事で自分のやりたいことをやるとか、やりがいのある仕事を見つけようとか、そんな概念自体がウソなんじゃないか?」


だってそうでしょう?散々世の中で謳われているこの概念。これだけ煽っているのにそれを享受できている人間は、おそらく全体の1%にも満たないでしょう。

就活では個性を出せ、やりたいことをはっきりさせてプレゼンしろと要求するのに、入ったら希望は一切受け付けませんという、とんでもない矛盾笑。

それなのに、やりがいなどという幻想に囚われて精神が乱れてしまう。しかも、決して乱れたいなどと思っていないのに、乱れてしまう人が大多数なのではないでしょうか。

人間は誰しも幸せな人生を送ることを望んでいるはずなのに、こんなのは明らかにおかしいです。

ここまで来ると、そもそもそんな価値観自体に問題があるのでは?と思うのが自然ではないでしょうか?多分、この社会に長く浸かる過程で、すっかり刷り込まれてしまった価値観なのでしょう。何というか、私達労働者は、いい具合に社会で効率的に行動するように扇動されているのではないかと、疑いたくもならないでしょうか?


資本主義社会に生きる

今更すぎて恐縮すぎるのですが、私たちは資本主義社会で生きているのです。どう考えたって力関係はこうです。

資本家 (雇用者) >>>>> 労働者 (被雇用者)


つまり、労働者は労働によって生み出した価値の対価としてお金をもらえるよ、ただし資本家の思惑に従ってくれさえすればね、というシンプルな構造なのです。


この構造は、ある程度は仕方のないことでしょう。実際、経営者は能力があり、我々労働者レベルでは想像のできない程の大きなリスクを背負って会社を運営しているのです。彼らにもそれなりの対価が支払われるべきでしょう。これはある意味自然の成り行きですし、それは資本主義社会を支えるインセンティブ設計が具現化した姿なのです。

自分で起業しているわけでもないのに、仕事にやりがいがない・やりたい仕事ができない等と嘆くこと自体が、そもそも不毛なことであり、苦しみを生み出す根源なのではないか?そう、思うようになりました。

好きなことは金を払ってやる

とは言え、やりたいことはあるわけです。それをやれないまま、ただ配属の希望が通らなかった等という理由でヤキモキするのは辛いものがありました。

希望がいつか通るかもしれないという確約の無い期待だけを抱き、指をくわえて待っているというのは、やっぱりしんどいんです。

起業するほどの実力のない私が、この資本主義社会で生存しながら、労働者として、自分のやりたいことをやる方法はなんだと、考えを巡らせました。

そして得た結論はコレです。

「好きなこと・やりたいことは、金を払ってやればいい。」

そう。ここは資本主義社会です。労働で獲得した賃金を使って、余暇でやりたいことをやればいいのです。額が大きいなら、少し我慢して貯金してから、ドカンと使えば良いのです。


人生≠仕事

これを機に、仕事を人生の目的にするという考えは棚上げとなりました。すると、悩みなんてすっ飛びました笑。今までなんとくだらないことで悩んでいたのだろうと。これは決して強がりではなく、本当に心がスッキリしたのです。


仕事なんて所詮、自分の人生を豊かにするための手段でしかないのです。その人生をどう豊かにするかは人それぞれでしょう。

ただし、何をするにせよ、多かれ少なかれ金は必要です。いくら綺麗事を言おうと、経済力が物を言うのがこの資本主義社会なわけです。

だから、働くのです。家族を養うため。そして、余剰資金で適度に好きなことをして楽しむ。

実にシンプルではありませんか。

ドライなようだけど

極めてドライなようですが、守るべきことはあると思います。

仕事については責任を持って成果を出すべきだし、職場の人間関係、社外の関係者との信頼関係は手を抜かないで維持するべきだと思います。

あくまで、「人生=仕事」という偏った構図から生まれる苦しみから抜け出すために、少しドライな風を頭にふかしてやろうというだけのお話です。


キャリアを断念したわけではない

しかし、キャリアを諦めるという話ではありません。

ここで身につけたスキルを、将来自分で切り開くために活用すると考えればいいです。

きっといつか、ここでの経験が活きるはず。社会にとって何らかの価値を生み出し続けるような努力をひたすら続けるれば、必ずどこかでチャンスが巡ってくる。

そう信じて、今は採算度外視で、仕事と並行で、やりたいことをやろうと思うに至りました。

そして博士課程

どうすればやりたいことができるのか?

そして本題です。

わたしのやりたいことはロボット工学の勉強・研究です。金を払ったってかまわないから、これを実現できるフィールドはどこだ?それが問題です。

ただ趣味でやる。それも悪くありません。実際、結構楽しいです笑。だけど、そうじゃない。何か、こう、大義名分のようなものが欲しかった。地位や名誉とか、そういうのはマジでいりませんでした。そういうのは、何か事を成した後に結果としてついてきたらラッキー程度のもので、あまり私の人生に関係はありません。

ただ、やるぞ!っと思える取っ掛かりのようなものが欲しかったのです。

するとおあつらえ向きの場所が思い浮かびます。

大学院がうまそう

そう、大学院です。私は修士卒なので、次のステップは博士課程です。

研究室の先生や学生と議論をしながら、実験や論文執筆、学会発表を行うのです。論文や学会には締切があり、ペースメーカーにもなります。

それに、大学は真理を探求する場所です。その姿勢が何とも気持ちいいではありませんか。

これを言ったら場の空気を乱すのではないか?などと余計なことを心配すること無く、純粋に科学に向き合うことができる。そんな素晴らしい経験ができる唯一の道が大学院で、修士卒だった私が目指すべき学位が博士だったのです。

なんで博士課程?という問題提起から始まりましたが、色々紆余曲折しながらここに行き着いたわけです笑。


博士課程にも色々

ただ、博士と一言で言っても、色々な形態があるわけです。

その中でも私は、社会人博士を選択しました。

なぜ社会人博士なのか?

それは、次回お話することに致します ^^

↓次回
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社会人博士のススメ ①きっかけ

はじめに

私は現在、メーカー勤務の会社員です。

と同時に、大学院博士課程の学生を兼務しております。

入社4年目で博士課程に進学しており、現在進行系です(業務と兼務かつ、業務と異分野での研究のため、5年での卒業を計画しています)。

本カテゴリ(社会人博士)では。私がこの立場になったきっかけや、行動に至るまでの経緯、入学後の生活について述べたいと思います。


博士なにそれ美味しいの?

え?なんで学生に?

はぁ?なんでわざわざ兼務までして学生なんてやってんの?意味わかんないし。


と思われる方も多いと思います。こんな立場、実際あまり理解されるものではありませんし、やってる自分でも意味が分からなくなることがあるくらいです笑。

結論を言ってしまえば「ただやりたったから」です。大学院に行って脳が刺激されることが、なんか楽しいのです。一種の中毒かもしれません笑。

喜び

  • 役に立つのか分からないけど純粋にただ知りたいことを知ることができる喜び。
  • 自分が心からやりたいと思っていることができる喜び。
  • なんのしがらみもなく全力で先生と議論ができる喜び。

こういう類の喜びは、単に会社で与えられたことをこなしていくだけの生活の中からは、得難いものなんじゃいかなと思う今日このごろです。


仕事じゃだめだったの?

仕事=喜びの人もいるが

もちろん、自分のやりたいことを仕事に選ぶことができ、毎日がやりがいに満ちた仕事生活を送っている方もいらっしゃると思いますし、それは素晴らしいことです。皆がそういう人生を送れる社会にならないものかと、切に願うものです。

しかし現実問題として、そのような充実した生活を送っている人は、かなり少数の人に限られると思われます。


日本の就活事情

いわゆる新卒一括採用のフローで就活をして、ある程度の規模の企業に就職した方なら分かると思いますが、自分のやりたいことを仕事にできる確率は極めて低いと思います。

当然、希望が通っている人も中にはいますが、それは少数派です。必ずしもそんなにうまく話は運ばないし、むしろ多くの人の希望は却下され、苦虫を潰す思いを抱いている人も非常に多いのではないかと思います。

私も、運良く(?)その一人となることができました笑。

なんでこういうことが起こるのかをここで述べるのは話の趣旨から逸脱しますし、今更私如きの人間が述べずとも自明の理なので割愛しますが、そういう現実があるという前提で話を進めます。

色々と記事を読んだ中でも、下記のサイトに記載された泥臭い事情があるのが有力ではないかと勝手に思っています。説明を受けていない限り、真実は闇の中なのですが…。

b-zone-salariedman.hatenablog.com

夢はあるが

私には夢がある。

ロボットで社会を豊かにすること。これもあまりごちゃごちゃ書くと脱線するので、こちらも割愛します。

要は、私には夢があり、ある企業がその夢を実現するためのフィールドとしてふさわしい場所と考え、そこに入社しました。

ところが、少なくとも入社時点において、私はロボットとは全く無関係の職場に配属されることになりました。

お子ちゃまな私はハンマーで頭をブチ抜かれたんじゃないかと思うほどの大きなショックを受けたなぁと覚えています。配属通達からしばらくは、私の頭はもはや真っ白で、すっかり放心状態になっていました。

幼い頃、「夢を持て」という類の話を当時の大人たちから聞いて、うげ!そんなの幻想じゃん!とか思っていたかもしれません。そんなことなら、夢なんて抱かなければ良かったなどと、甘ちょろいことを考えていたなぁと、懐かしく思います笑。

石の上にも三年

よく聞く言葉です。

これは今日でも意見の分かれるテーマですが、私はどちらかというと肯定派です。

確かに初見が好みでないと強い嫌悪感を抱く感情は分からないでもないですが、だからと言って簡単にコロコロと職場を変えてしまうようでは、多分いつまでたっても腰を据えて働けるようにはならないように思います。

最初からやりたいことだけをやっていたら身につかなかったような知見も得られるでしょうし、その経験が将来的に他者との差別化に繋がる可能性だってあるわけです。何より、忍耐力が身につくでしょう。その組織のことを大して分かりもしないのに即辞職というのは、私としてはやっぱり抵抗があります。何か行動を起こすのはその後でも遅くないと思います。

(強烈なブラック企業等で人間としての自由を脅かされるレベルの処遇を受けており、一刻も早く逃げ出さないと命が危うい、といった類の然るべき理由があるなら話は別ですが…。)

さて、そんなこんなで私は硬い石に三年乗っかりました。与えられた仕事はもちろん、与えられていなくともやるべきだと思った仕事は自分から積極的に行うようにしました。

様々な観点で成長できたと思いますし、社会貢献ができている実感もありました。生活に困窮することもなく、もし夢なんてもっていなければ、特に問題のない生活を送っていたと思います。


三年が経ち

そうして三年過ごして導かれた結論は、こうです。

「いやー、やっぱり自分、ロボットに携わっていたいなー。以上。」


三年経っても私の意志にブレはありませんでした。これが確認できたこと自体が、希望外の部署で働いたことによる大きな収穫と言えるでしょう。

人生をかけて、それこそこの身を削って学んできたロボット工学を、全く活かすことなく生きていくのが、どうしても辛かったのです。

もちろん、世界中にいる名だたる天才研究者や開発者に比べたら、私の能力なんて取るに足らないのは重々承知です。

しかし、それにしたって、今まで習得した知識や技術が殆ど全く活かされることがないのです。しかも、自分の意志とは全く無関係に、キャリアパスの全てが会社の都合だけで決まってしまっているというのは、精神的には如何ともし難い状況なのです。

それでも、ただ僅か程でもいいから、ロボット分野の発展に貢献したいと、心から強く思う気持ちは変わらなかったと思います。

そこからなんで博士課程?

ここまでくれば、どんな行動を起こすべきかを考えるステップです。

やりたいことをやるだけなら、異動希望を出すなり、転職するなり、趣味でやるなり、他に手段はいくらでもあるのに、何でわざわざ博士課程なの?その辺りは考察を加えてから行動するべきだと思いまして。

長くなってまいりましたので、その辺りの話は、次回にしようと思います ^^

↓続き

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